肯定や否定、賛成や反対というのも感情の働きであり、精神世界そのものです。そのような自己の感情を受け入れることは大切です。
ただし、私たちには三次元の「現実」社会という地球ワークショップのプログラムが与えられています。その現実社会は主に人間関係によって形成されています。
あえて三次元のボディーを装着してこの世に生まれ出ている私たちは、そのワークに真摯に取り組むことが大切であるのです。
このことを具体的な例を挙げて言います。
例えば、原発なんか無い方がいいに決まっています。しかし、原発は反対だと言っているだけの状態は自己の感情表現に過ぎず、それは精神世界に過ぎません。
しかし「現実」は、原発が無くなって電気代が高騰すると困る人々や中小企業がある。電気代なんか高くなってもいいから石油でやれという意見もあるが、そうなった時にもし外圧によって原油の輸入が停止されたら、資源の無い日本では第二次世界大戦前のように大量の餓死者が出る可能性がある。そこまでを考えながら原発反対を言うのが地球ワークショップに取り組んでいる人の真摯な態度だと思います。
私の場合は、自分が原発に反対だから、原発も石油も必要の無い世界を探求するために麻(ヘンプ)の有効利用を考え、啓蒙する活動に参加しています。
批判をする人には、「それは間違っている」という精神世界(スピリチュアル)をただ垂れ流すだけではなく、それでは代替策としてどうしたら良いのかという三次元的・現実的なアイデアを出す義務があるのです。
同じように、軍隊なんか無い方がいいに決まっています。人殺しの道具なんて必要ありません。しかし、軍隊が必要無いと言っているだけの状態は自己の感情表現に過ぎず、それは精神世界に過ぎません。
しかし「現実」は、日本の隣国が軍事大国であり日本へ矛先を向けで軍事基地を配備している。国際問題の研究家たちの中には、力を蓄えてきた中国は尖閣のみならず沖縄を取ろうとしていると言う人もいます。
それが現実ならば、現実世界に生きる私たちは、軍隊を持たないならその代わりにどうやったら日本が安全かつ自立していけるかを具体的に考えなければなりません。
政治は信用できないから選挙に行かないと言う人がいます。信用できないと言って投票を棄権しているだけの状態は自己の感情表現に過ぎず、それは精神世界に過ぎません。
しかし「現実」は、その人が選挙へ行かなくても、必ず誰かが当選して議員として政治の世界へ送り込まれます。
それが現実ならば、自分の選挙区の候補者を相対評価で比較してみて、よりマシな人に議員になってもらおうという考えで私は投票へ行っています。
マスコミやブロガー、ネットユーザーたちが何の具体的な代替案も提示せずに何かの批判を執拗に繰り返し、その行為が結果として日本人同士の対立を煽る形になっているという光景が多々見受けられます。
特にネット社会が拡大してきた今は、建設的ではないネガティブな感情だけで人と人とが対立することが多い時代になってきているように思います。
それこそが影の勢力が仕掛けた「対立誘導装置」にコントロールされているということなのです。
(やしろたかひろ)
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