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2010年08月15日

日本人の精神的貧困、想像力の欠如

毎年、この時期になると、テレビでは戦争関連のドキュメンタリーやドラマが放映されます。
過去に見た番組の中で、私が最もショックだったのは「火垂るの墓」でした。
あの話自体はフィクションですが、戦中戦後にあのような子供たちが実際にたくさん居たことは間違いないであろうという思いがこみ上げてきて、私は涙を流しながら見ていました。

昨日は、倉本聰氏脚本のドラマ「歸國(きこく)」を見ました。
戦時中、南方の海で戦死した日本兵たちの霊がお盆の一晩だけ今の日本に戻ってきて、各自思い出の地を訪ねるという設定のドラマでした。

もし、あの戦争で散った日本兵たちが今の日本社会を見たら、どのように思うだろうか? という話は以前から多くの人に語られていました。
それを倉本氏が想像してドラマ化したものです。

日本は物質的に豊かになったが、精神的に貧しくなってしまった。
「こんな世の中にするために、戦争で散ったわけではない」
最後の、兵士たちの悲痛な叫び声が印象的でした。

他の人のブログを見たところ、「彼らの戦闘を正当化する倉本聰の戦争観は、時代錯誤もいいところだ。」という批判がありました。
私自身も戦後生まれの日本人の一人なのですが、あのドラマを見て、戦争を肯定しているストーリーだと受け取る人がいること自体に、今の日本人の精神的貧困、想像力の欠如を私は感じました。


posted by takahiro at 14:07| Comment(5) | 現代社会を考える
この記事へのコメント
ま さん、

本日の私のメッセージの論点からはズレていますが、ただ貴方がおっしゃることはその通りです。私も失業を経験していますから十分に分かっていますよ。
しかし、昔の日本には、失業しても、家賃を払えなくても、みんなで助け合って、何とか生活していくことができる共同体という文化があったのです。
家も無い貧しい人に、タダみたいな家賃で離れを貸してくれたり、自分の畑で採れた野菜をタダでくれたり、という精神文化が日本にはあったのです。
だから、金銭的には今よりも貧しい人が多かったのに、犯罪が少なかったのです。
今は、その頃よりも入居者が付かなくて開いているアパートはたくさんありますし、また食糧だって現実には日本には余るほどあります。しかし、それらはお金を持っていない人たちに分け与えられることがなく、余った食糧はただゴミとして廃棄されるだけです。
仕事を失えば即生活に困るというのは、今の日本の特徴です。
日本人の精神性に問題があるのです。

こちらもお読みください。
http://iyasaka.saloon.jp/article/35036932.html

Posted by やしろ at 2010年08月15日 13:25
こんにちは。
私も昨日のドラマ「帰国」は見ました。
決して戦争肯定でなく、むしろこんな残酷で悲惨なのだとしか映りませんでした。

「ま」さんの言ううことも事実だと思います。
精神の貧困のうえに物質経済の貧困が重なって大変な事態が進行してます。
いわゆる「負け組」呼ばわりされてる人々の増大。
昨日の新聞一面にローン破産で家屋の競売物件急増の記事がありました。
物質的豊かさはとうに爛熟期を終え衰退していますが
倉本さんの世代では一番強烈に感じた部分が描かれていたのでしょう。

日航ジャンボ機の事故による520人の悲劇は毎年放送されますが、
自殺者が3万人の悲惨さはあまり語られないのは、
確かに「想像力の貧困」と思います。
いったいジャンボ機が何回墜落したらこんなに死ぬのだろうと思えば
どれだけ悲惨な事態かわかるでしょうに・・・。

私は新興住宅街に住んでいますが、幸い人情が生きていて、
一人暮らしの認知症高齢者を近所の住人が助けています。
誰も苦情を言って追い出そうとはしません。
知人が「珍しいな、普通なら必ず誰かが火事でも出されたらどうしてくれると騒ぐもんだ」と言っていました。
ほんの幾人かが助け合いを実行すれば、自然と輪が広がるものです。
でもその最初の幾人かになるにも勇気がいる世の中なのでしょう。
Posted by ただの人 at 2010年08月15日 13:38
ただの人 さん、

新興住宅街で、一人暮らしの認知症高齢者を近所の住人が助けている。
本当に、いまどき珍しいと思います。
今の日本にも、そういう所が残っているのですね。情報ありがとうございます。
Posted by やしろ at 2010年08月15日 14:13
私も捉え方は様々ありますが、現代の人の精神性は確実に落ちていると感じます。
三島由紀夫はこの現代を予想していたと思います。
だからこそ、割腹までして伝えたかったんだろうと思います。
またあの時のマスコミや世間はどうだったんでしょうか?僕は生きていない為確実にその世の中を知っている訳ではないですが、少なくとも新聞やメディアは三島由紀夫を奇人化していたのではないでしょうか。
よく大人達は、「俺の子供の時は違った」などいう人たちは今でもいます。そういう人達は今の人達を見て「我慢が足りない」「辛抱が足りない」やら言います。これも大人達は今の人達の精神性が落ちてると言ってるのと同じなのではないでしょうか。
これは現代が物に溢れた日本になってしまった結果産まれた悩みでもあると思います。
Posted by たけお at 2010年08月15日 17:06
歸國は録画したので後で見ようと思っています。
精神的な貧しさというのは私も感じています。
モノ・カネはいったいどのくらいあれば人は満たされるのでしょうか?

先日、似たような会話で、祖母に怒られたのを思い出しました。

「生きるために稼ぐんじゃない。幸せになるために生きるんだって。今生きていることに感謝できなくなったらそれは人じゃない。家畜と同じだよ。どんなに辛いことがあっても、それは神様が与えてくれた成長の機会。あんたの幸せは、カネか?モノか?仕事か?。違うよ。今日一日生きられたことそれ自体なんよ。感謝しなきゃ誰にも感謝されんし、どんどん心が貧しくなって不幸に死ぬさ。あんたの不幸が連鎖を起こしたら、それこそ仕事もらえんくなるよ。そのほうがカネもモノもなーにもかもすっからかんになるわ。この甘ったれの弱虫!って^^;

ま、こんな感じのことを言われました。
ここに、昔の人の精神的な強さを感じました。

仰りたいことは、良くわかります。



Posted by せい at 2010年08月15日 21:59
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