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2012年10月19日

女性の体は、卑わいで子供に悪影響を与えるものなのか?

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27、28日に開催される「藤沢市民まつり」のPRで小田急江ノ島線「湘南台駅」の地下通路に設置されたバルーンアートが撤去されることになった。
一部住民から「卑わいだ」「教育上よくない」との苦情を受け、主催者が決めた。依頼を受けて制作したアーティストの北川純さんは「残念だ」と話し、展示の継続を望んでいる。

北川さんは、祭りの人気イベントで恒例のサンバパレードをイメージした作品に仕上げた。
天井からつり下げられた直径数十センチ程度のバルーン50個には、女性の下着にも見える手作りのサンバの衣装が着けられている。巨大な下半身型バルーンもセクシーな衣装をまとう。

子連れでバルーンを見上げていた主婦は「インパクトがある。子供は風船が好きだし、撤去しなくてもいいのでは」と好感。
74歳の男性は「子どもが見たらちょっとね」と苦笑いしていた。

(10/19 ニュース報道より)



藤沢市で浮上した、「女性の体をイメージしたアートは卑わいで子供に悪影響を与えるのか?」というテーマです。
もしこれが撤去されるならば、この祭りの中で予定されている浅草サンバチームによるカーニバルも、同じ理由で、当然に中止されなければいけないでしょう。
そもそも、「卑わい」とは何でしょうか? この言葉を辞書で引くと「品がない」と出てきます。

ちなみに私の場合、10歳ぐらいまでは、大人の女性のヌード写真を見せられても何も感じなかったことを覚えています。
つまり、女性の体が卑わいなのかどうか、というのは大人の判断なのです。
そして子供は、多くのことを大人から学びます。

この問題は、日頃から大人が子供に対して「性」をどのように教えているのかというテーマとも関係しています。
大人が「女性の体は卑わいだ」と言えば、子供は「そうか、見てはいけないものなんだ」と納得し、大人が「女性の体は美しいアートだ」と言えば、子供は「そうか、奇麗なものなんだ」と納得する。そのようなものなのではないでしょうか。

(やしろたかひろ)

posted by takahiro at 20:08| Comment(7) | 現代社会を考える
この記事へのコメント
湘南台の住民です。
初めて見たとき、「エッ」と思いました。
なんでこんなものが、例え地域イベントの一環として展示されているのか?非常にこの場にフィットしない、いわば「趣味の悪い、下劣なもの」といった印象を持ちました。

おっしゃるように女性の身体は美しい。
私はアートをこの上なく愛しますが、優れた女性ヌード写真などには畏敬の念すら覚える芸術性が感じられます。
それに比べ、風船に女性の下着を着けた今回のオブジェは、とてもアートと呼べるものでなく、むしろ大人のおもちゃやAVの範疇に属するような低俗さを感じました。
アート作品であれば見いってしまうものですが、これは目をそむけたくなりました。むしろ女性を冒涜するものではないかと思うのです。

今回撤去が決まったということは、きっと多かれ少なかれ私のように感じた方が多かったのではないでしょうか?
Posted by ひろ at 2012年10月20日 12:19
今回、この風船が撤去されるに至った理由は「子供の教育によくない」という判断によると思います。
風船は下品で、サンバカーニバルはアートなのでしょうか? 
女性の体は男性と比べて丸みがあるから美しい。マルは女性性の象徴でもあります。それを丸い風船に置き換えるのは、ある意味でアートです。
ただいずれにしても、アート性の評価については、人それぞれの主観で異なると思うのです。そして、それはすべて大人の主観です。
子供はこれを見て「この場にフィットしない」「趣味の悪い、下劣なもの」だと感じているでしょうか。ただ純粋に、面白い形をした風船だと楽しく見ているのではないでしょうか。
大人のおもちゃにしても、それを低俗だと感じるのは、それが良くないものだというジャッジにもとづく、大人の個人的主観ではないかと思うのです。
生きていく希望や活力を得るために、大人のおもちゃを必要としている人たち、たとえば身体障害者のひとたちなど、もいるのです。
私は、これ自体が良いか悪いかという判断はしません。ただ、ひとりのバルーンアーティストの心が傷ついたという事実だけが残ります。
Posted by やしろたかひろ at 2012年10月21日 09:37
アート=共感、共存
自己表現=オナニー

時間と空間にマッチしてなかっただけですね。
きずついたんじゃなくてきづかせてもらえたラッキーな出来事なんではないでしょうか。

なんでもやってみないとわかりませんから。
Posted by ゆうだい at 2012年10月22日 01:44
オナニーは自己表現ではなく、生の躍動。
クラッシックとロックの違いのようなもので、万人が共感するアートなんてない。
この場合、子供が共感すれば良い。
Posted by うるとらまん at 2012年10月22日 02:29
万人が共感するアートはありますよ。
例えば、かつてのXjapanのライブとかね。何万人も体感しにくるでしょう。
子供は無垢だから共感は得られるはず。
問題は子供をもつ親の共感を得られなかったことにあるのではと思います。
Posted by 変態仮面 at 2012年10月22日 06:21
>オナニーは生の躍動

そうですね。自分に喜びを与えることが生の躍動です。
それを受け入れてくれない他人がいても、生が躍動していればアートです。
それが、ピカソもムンクもハードロックもアートであると言われる理由。
アートかどうかは、民主主義の原理で多数決でジャッジするような問題でもありません。
私たち大人はマインドコントロールされているので、なんでも先入観で見てしまいます。
オナニーが低俗なものだと考える人は、性に関するユーモラスな表現も低俗なものだと考えるのでしょう。
このバルーンがアートなのかどうか私にはわかりませんが、純粋無垢な子供が見て不愉快にならなければ、少なくとも「問題ない」のではないでしょうか。

参考
「性に対する宗教によるマインドコントロール」
http://iyasaka.saloon.jp/article/58493626.html
「神との対話-性教育について」
http://www.yaei-sakura.net/ascension/index.php?taiwa_sexual
Posted by やしろたかひろ at 2012年10月22日 11:03
感じた事、思う事をいくつか書かせてください。

インドのオショー•ラジニーシは性の氾濫と抑圧はコインの表裏だという意味の事を言ったそうです。
私はこれに同感です。

女性の身体を美しいと感じるのは良くある事で自然な事ですが、美しくなくても身体は身体、客観的に決めるべき事ではないと感じます。

もう一つは、サンバのダンサーは生きた身体で踊る喜びもあれば、魅せる喜びもありますが、アートはやはり人工の物体です。

これを卑猥と決めつけ、糾弾する精神はくだらないけど、このアートも似たようなものかな、と感じてしまいました。
このアートの作者の方が読んでいたらごめんなさい。
私のこの文章自体もくだらなさでは大差ないですね(苦笑)

生きている自然な身体の尊厳はポジティブなジャッジを越えたところに感じとるべきかなと思うのです。

ヘアヌードには綺麗なものもあるけど、全ての『ヘアヌード』という言葉は汚いと感じます。
陰毛ヌードって意味でしょう?
もうちょっとナチュラルヌードとか。。。マシなネーミングなかったのかなって(苦笑)

取りとめもなく失礼いたしました。
Posted by U助 at 2012年10月28日 00:44
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