ブログを引っ越しました!⇒ 新ブログはここをクリック

  このブログの親サイト⇒ 共生社会の共同建設を目指す【イヤサカの会】

2012年10月31日

「心」と「生」で「性」になる

中山弥栄塾は11月までセクシャリティーがテーマですが、先日、ある人とメールを交わしていたときに、その人が大事な事を言っていたのでご紹介いたします。

それは、「性とは、心と生の問題」だということてす。
生きることを意味する「生」という字に、心を意味する「りっしんべん」(心)を付けると「性」という漢字になります。

セクシャリティーがもし肉体だけのものだけならば、「りっしんべん」(心)ではなく、肉体を意味する「にくづき」(月)のほうを充てるべきです。
しかし、「性」とは、生命活動の中で、心を通わせることだったのです。
心が肉体と違う点は、物質的なものではなく、エネルギーの働きであることです。

つまり、誰かと心を通わせることが「性」。エネルギーを交わすことが「性」です
肉体を裸にすることよりも先に、心を裸にして付き合うことが「性」のお付き合いなのです。


ここで、ふたたぴ矢加部幸彦氏のフレーズの登場になります。

  この世に女子(おなご)と男子(おのこ)が存するは、
  各々の違いを認め、一身同体となることによって、あまねくを美化していくがため。
  それは互を養い、相手を開き、まことを育んでいくことなのです。。
  それが、神ながらの道、祈り合い称え合いの、まぐ愛なのです。。
                                (矢加部 幸彦)

すなわち、「性」とは「まぐわい」のこと。
互いに心で相手を受入れ、心が一体となり、癒やし合い、支え合い、高め合い、生命の美を奏で合う働きが「性」です。
同性愛者であっても、互いにこのような心の働きがあれば立派な「性」であると言えるでしょう。
また、恋人同士ではなくても、互いに心を裸にして付き合っている親友のような関係もまた、性エネルギーが交流していると言って良いのではないでしょうか。


世の中には、一方的に与える愛もあります。
他人や自然に対してボランティア活動をしている人たちの愛などがそうでしょう。
また、セラピーやカウンセリングは、一方的に与える癒やしです。
一般的に、これらのような一方的なものは「まぐわい」とは言いません。

ただ、一方的なものであっても、例えばボランティア活動をしている人たちの中には、最後には自分自身が癒されたという体験を語る人がよくおります。
そういう人というのは、個を超えた大きなエネルギーと交流しているのではないでしょうか。
つまり、ボランティア活動を通して神様とのまぐわいをしているのだと思います。

(やしろたかひろ)

posted by takahiro at 00:53| Comment(0) | 男と女の関係
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]