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2012年12月31日

初詣の「お願い」は「誓い」に変えてシンクロを起こそう!

2013年の正月も、多数の方が初詣に行かれると思います。
そこで、大晦日の今日は「祈願」という言葉の意味について考えてみたいと思います。

以下は、2004年の秋に、私のインスピレーションの中に飛び込んで来た言葉です。


  祈願とは、神の前で誓いを立てる事をいう。

  あなたが病気だったと仮定しよう。
  あなたは、自分の病が早く平癒するように、
  規則正しい生活をすること、
  病に負けない強い心を持つことを心掛け、
  滋養をとり、養生して努力する。

  あなたの家庭に不和があったと仮定しよう。
  あなたは、利己主義を捨て、常に相手の立場に立って物事を考え、
  家族が円満に暮らせるように努力する。

  このように、自己が抱えている課題と正面から向き合い、
  解決のために自ら努力することを神に誓い、
  以って神の力添えを求める儀式が“祈願”である。



世界中の多くの宗教では、礼拝施設へ行くと、中心に崇拝すべき神様の像が置いてあります。
しかし、古神道の神社には、真ん中に鏡が置いてあります。それは、神社にお参りに来た人、その一人ひとりを映し出す鏡です。
すなわち、古神道では中心に自分自身を置くのです。「自分教」です。

なぜならば、人間は一人ひとりが大いなる神の分身なのであって、すべての問題を解決させる力が最初から自分の中に備わっているからです。
ですから、神様の分身たる自分を信じることなく、別の何者かに頼りすがりをすることは、神様に対する冒涜になってしまいます。
神社へ言ったら、まず自分自身に誓うこと。自分を信じて自ら行動を起こす人には、私たちの大本である大いなる神(自然神)が、それに力添えをしてくれることはあるでしょう。

そこで、今まで神社へ行って、「おすがり」や「お願い」をしていた人は、今度は「誓い」に変えてみませんか。
個人レベルの誓いも大切ですが、今は人類としての誓いも大切な時です。人類が抱えている問題は、人類が自分たちの力で解決できる問題です。
「競争原理の中で人と人とが傷つけ合ってきた社会を終了させて、人類みんなで弥栄の世を創っていきます。」という誓いを立てても良い時期なのではないかと思います。

「願い」とは少しニュアンスの違う「祈り」という言葉には優しいイメージがありますが、やはり他力に頼ろうとする意識の強い言葉です。
集合意識の大きな波動、シンクロニシティの大きな渦を創るためにも、よりパワフルな「誓い」が必要な時です。
1月1日から節分の日までは、各々の氏神様へ行って平和を誓うことを国民的行事としましょう。

(やしろたかひろ)


posted by takahiro at 13:40| Comment(0) | 人生の転換
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