http://iyasaka.saloon.jp/article/61267142.html?1357522175
そして昨日ですが、またまた違ったタイプのネガティブさんとメールのやり取りがありました。
この人から届いたメールの内容は中山康直さん宛てで、中山さんがあるイベントで講演した内容に嘘がある、という批判文でした。
Webサイトの管理上、中山康直さん宛てに来たメールは、いったん私が受けて中山さんへ転送するという形になることが多いのです。
もしかしたらこの人は唯物論者で、現代物理学の話でもしたいのかな?と私は最初に思ったのですが、そのメールを読んでみると、いわゆるスピリチュアル・マニアの人でした。
彼のメールには、中山さんが話している地球創世の話は間違っており、真実はこうであるという説明が書かれていました。そして最後に「この話は“○○○○○”から聞いたので間違いない」と書き添えてあったのです。
“○○○○○”は、ネット検索しても出てこないような存在の奇異な呼称でした。彼の想念の中だけに居る存在なのかもしれません。
さらに彼からのメールには、「主催者に聞いたら、こらちは独立したプロジェクトなので中山さんとは直接リンクしていないとの事でした。バラバラですねぇ。」という、皮肉の言葉まで書き添えてあったのです。
こんなに面倒くさい相手に付きまとわれたら、リンクしていてもリンクしていないと言って、それは逃げたくもなるでしょう。そのイベントの主催者は女性の方でもありましたし。
おそらく皆さんの多くは、ここまで読まれで、このような人は取るに足らない相手、無視して良い相手、と思われていることでしょう。
もちろん、私はいちいちこのようなメールを中山さんへ転送しません。
私が今、問題視しているのは、地に足がついていない(グラウディングしていない)スピリチュアルマニアが非常に多い、ということです。
中山さんに限らず、スピリチュアルリーダーたちが語る神話のような話は、信じる人だけが信じれば良いものであって、ただ楽しく聞いていれば良い部分であると思います。
そのような話は、それ以降に続く大切な話のイントロダクションに過ぎないのです。話の大切な部分をきちんと聞かないで、イントロダクションの部分に固執してその相手を批判する人というのは如何でしょうか?
スピリチュアルの目的は、融和であり、平和であり、人類が仲良くなって共生していくことです。この人のように「バラバラですね」などと言って相手に戦いを仕掛けてくることは、スピリチュアルの目的から逸脱する行為です。
スピリチュアルリーダーたちが語る「大切な話」とは何かというと、今生きている私たちはどう生きるべきか、という部分です。
宇宙創成や地球創世の話は「過去」の物語であって、ある意味、「今」を生きている私たちにはどうでもいいことなのです。
私たちに大切なことは「過去」ではなく「今」なのです。
この人には、「今」どう生きるべきかという、建設的な意見を言える人になってもらたいと願います。
「今を生きていない人」とは、先日私が書いた、「何かに捉われ過ぎていて、自分を自由にしてあけることが出来ない人」のことでもあります。
(やしろたかひろ)
タグ:調和と循環
そういうマニアは、なにかにコントロールされている場合が多いと感じます。
なにかとは、霊的にはなったつもりになっている“もどき”が多いようです。
最近「ザ・フナイ」他、白峰さんとの共著で、中山さんの内容を読み、地に足というか全てが繋がっているということが感じられました。
人はそうでなければ別のモノに足を巣食われてしまう危険があります。
スピリチュアル・マニアは、地に繋がらずに、自分だけに通用する迷妄に繋がってしまっている人たちが多いです。
スピリチュアル・マニアは、自分と自然と世界のつながり、その中での足の地に繋がった進化を考え実践することが必要だと思います。
それが融和であり、平和であり、人類が共生していく理想の姿だと、ぼくは考えています。
考え方や感じ方が違って、好戦的であるように見えたとしても、実際には共に今を生きている人ではないでしょうか?
分類し、切り捨てるようなこの記事は、とても悲しく、とげとげした印象を受けました。