以前、私は「スピリチュアルとは生活すること」と書きました。
ここに書きましたが、私たちが三次元と認識しているこの世に生きていること自体が、すでにスピリチュアルなことであるわけです。
では、スピリチュアル的な視点で理想的な生活とは、どんな生活のことを言うのでしょうか。
毎日瞑想をしたり、マントラを唱えたりすること?
そういうことが好きな人は、それも良いでしょう。
神仏と対話したり、宇宙人と会ったりすること?
それは特別なお役目を与えられている人でしょうね。でも、特別な人になることはスピリチュアルの目的ではないと思います。
感謝しながら生活すること?
自然と感謝の気持ちが湧いてくる人は素晴らしいと思います。でも、感謝とは、感謝しようと意識してするものではありませんよね。
スピリチュアル的な視点で言う理想的な生活とは、三次元をしっかりと生きることです。
三次元をしっかり生きるためには、お金を稼いだり、人と駆け引きをしたり、場合によっては自分が他人からよく見られるように努力しなければいけないこともあるでしょう。
えっ!他人からよく見られるように努力する?
そんなことがしっかり生きてることになるの?
・・・と、疑問を感じた人もいるかもしれません。
でも、考えてみてください。例えば芸能人。大衆から嫌われてしまったら仕事になりませんよね。
芸能人でなくても、あらゆるビジネス、また社会活動でも、さらに、ご近所付き合いでもそうです。自分が他人に対して良い印象を与えるように努力しないと、うまくいかないことが多いです。
ですから、人目を気にすることは、決して悪いことではないのです。だから、女性はお化粧もするのでしょう。
また、ビジネスでも社会活動でもそうなのですが、組織で活動をするときには、逆に、自分が嫌われ役を買って出るということがあります。
これは、組織のリーダーが嫌われてしまったらその組織の目的を果たせなくなってしまうので、リーダーが自分の人気を落とすような言動をしなくても済むように、代わりに誰か別の人が嫌われ役を担当するといういチームプレーです。
そんな俗っぽいことが全部、スピリチュアルな生命活動=生活です。
しかし、世の中には、三次元を生きるために、不必要なことをしている人がたくさんいます。
不必要なこととは、わざと自分を苦しめることや、他人を苦しめるようなことです。
生活をするためにお金を稼ぐ必要はありますが、自分が嫌いな仕事を無理にやる必要はありません。また、故意に他人を苦しめてお金を稼ぐのは好ましくありません。
また、自分にとっては好ましい事でも、それを他人に強制することによって相手を苦しめてしまうことがあります。自分とは違う相手の立場や生活環境、志向などを受け入れる必要もあるのです。
自分が考えていることや、自分の希望や欲望を包み隠さずに本音で生きながら、なおかつ相手に対して思いやりを持ちながら生活すること。
人間がこの世に生まれてきた目的は、人間関係を学ぶ(体験する)ことでもあるのです。
言い方を換えれば、自分が楽しくなって、他人を傷つけないことならば、何をやってもいいということになります。
ところが、誰も傷つけないのに社会的にタブーとされていることが、今の世の中にはあります。
本質的には全然悪い事ではないのに、倫理や道徳という言葉で悪い事にされていることが非常に多いと思います。
例えば、大麻の問題や、セクシャリティーの問題がそうです。
これらは、自分さえよければよいと考えている一部の人々が、自分たちの利権を守るために私たち大衆に仕掛けているマインドコントロールです。
2013年という時期を生きている私たちにとって、スピリチュアルな視点でさらに理想的な生活を目指すための課題は、ひとりひとりが社会のことに対してもう少し大きな関心を持つことではないでしょうか。
私は、そういう意味で、選挙に行くことを奨励しているのです。
(やしろたかひろ)
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