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2013年09月06日

婚外子の相続に対する最高裁判決と、山本太郎氏の隠し子騒動

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両親が結婚しているかどうかで子どもの遺産相続に差を設けている民法の規定について、最高裁判所大法廷が「憲法に違反する」という判断を示したのを受けて、政府は、早ければ秋の臨時国会に民法の改正案を提出することを目指して、与党側との調整を進めることにしている。
民法では、結婚していない両親の子ども、いわゆる「婚外子」は、結婚している両親の子どもの半分しか遺産を相続できないと規定されているが、最高裁判所大法廷は4日、「婚姻、家族の在り方に対する国民意識の多様化が大きく進むなかで相続を差別する根拠は失われた」と指摘し、「法の下の平等を定めた憲法に違反する」という初めての判断を示した。
そして、法律婚という制度自体が定着しているとしても「子にとって選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、権利を保障すべきだという考えが確立されてきている」とした。
(ニュース報道より)

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この最高裁判断は、明治民法の中にあった戸主を長とする「家制度」の一部をそのまま引き継いでいる現行民法の規定を改めることを示しています。

この判決に対して、事実婚やシングルマザーが増えたのは、価値観の多様化ではなくてモラルの低下にすぎないとの批判があります。
しかし、そもそも「モラル」(道徳・倫理)とは何でしょうか?
一般的にモラルというのは不定形のものであり、国や時代によって変わるものです。

日本では、重婚は法律的にもモラル的にも否定されています。しかし、海外には重婚が法律的にもモラル的にも認められている国や地域があります。
私は、人としてやってはいけないことは、他人に対して故意に肉体的・精神的な危害を加えることと、自殺することだけだと考えています。これらは、「モラル」という言葉とは区別して「人の道」「人道」と言いたいと思います。
「人道」に反すること以外は、自己責任において個人の自由で良いということです。

とっくに愛情は切れていても、子供の問題で離婚することが出来ず、無理に婚姻関係を続けている夫婦が居ます。
不仲な両親の元に育つ子供が、果たして幸せでしょうか?
不幸にも、夫が再起不能の植物人間になってしまった妻が居ます。
夫婦としての正常な交流をすることが出来なくなった夫に対して、その生命を維持させる責任だけを負いながら子供を育てている女性が、自分を支えてくれるもう一人の男性が必要だと思うのは、人道に反しているでしょうか?

山本太郎氏が、“隠し子”がいたとされてバッシングに遭っています。
相手の女性は、脱原発や市民運動を通じて以前からの知り合いで、昨年8月の前妻と離婚後に交際を始めたといいます。
山本氏の支持者の中には「脇が甘い」と非難する人たちもおりますが、彼は革命家でなければいけないので問題無しと私は考えます。

日本では婚外子に対して「愛人の子」や「隠し子」といった差別用語が使われます。
子供に対してこのような差別をする社会の「モラル」とはいったい何でしょうか?

社会やマスコミが山本太郎氏の人格を判断するときの基準は、その子の母親が山本氏と婚姻届を提出した女性であったかどうかではなく、山本氏と互いに愛し合う関係であったかどうかだけで良いと思います。
最高裁判断は、実質的に、事実婚やシングルマザーに対して社会的な地位を認める新しい考え方に対して追い風になるのではないでしょうか。

(やしろたかひろ)


posted by takahiro at 15:51| Comment(0) | 男と女の関係
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