ブログを引っ越しました!⇒ 新ブログはここをクリック

  このブログの親サイト⇒ 共生社会の共同建設を目指す【イヤサカの会】

2013年12月15日

今度の世界維新には、女性たちの参加が必要です。

昨年の今日は、衆議院選挙の前夜でした。
その時期、アセンションに関心のある人々の多くが、今度の冬至にいったい何が起こるのだろう?という期待と不安を抱いていました。
私はこのブログの中で、世の中の変革が起こる条件としてまず人々の意識の変化が先に起こる必要があり、2012年の冬至は各自がアセンションというイベントに参加をする意思表示をするタイミングである、と書きました。

それから一年が経過した今月、日本の後ろの正面、エジプトで百年に一度の大雪が降りました。
今は異常気象や自然災害が世界的に頻発する大変な期間にあると感じている方が多いと思いますが、歴史を振り返れば1970年にバングラデシュで50万人もの死者・行方不明者を出したサイクロンを筆頭に、人類の生命は常に自然の猛威に晒されてきました。
まもなく人類は、大気を汚す・地下資源を大量に掘り起こすといった自然を傷つける行為をやめて、この大いなる自然と融和していく生き方・社会のあり方を選択する時代に入っていくでしょう。
現在の状況を観察すれば、そのような時代が来るのは遥かに遠い未来であるかのように感じますが、突然の黒船来航によって時代が急速に変化した明治維新と似たような状況が、もうすぐ世界規模で起こってくるのではないかと思います。

ただし、明治維新でもそうだったように、この大変化について行ける人と行けない人とが出てくるでしょう。
今度の世界維新は、人類の意識が向上した結果として起こりますので、大変化が個人に与える影響のパターンは、個人の精神性の違いによって異なるでしょう。
世界維新は科学技術の急速な進歩をもたらすものと考えられますが、精神性の低い者が高度な科学技術を持つことは破滅を意味します。この意味でも、人類の集合意識によってもたらされる今回の維新では、武力や権力によってではなく、目に見えない力によってそのような人たちが軌道から外されてしまう可能性があります。
したがって、脱原発、食の安全、動物愛護、大麻は有用……といった、その人の主張の一面が正しいかどうかよりも、今回は心のあり方、精神性が問われます。ポイントは、その人が調和のマインドをもっているかどうかです。

私たちの三次元ワークの目標は、「全てがひとつであること」を思い出すことです。「調和」の究極が「ひとつであること」であり、その認識が「無条件の愛」を発動させる意識になります。
無条件の愛には、与えない、突き放すという選択もあるので、近年流行している惜しげなく与えるという意味のギブ・アンド・ギブ哲学とは根本的に異なります。

私たちの三次元ワークの中では、できるだけ多くの人々が世界維新の軌道から外れることが無いように共に努力していく取り組みも必要でしょう。
過去の歴史の中では、維新や革命を起こし社会を再構築していくのは主に男性の役割でした。
しかし、今度の維新では、共同作業者として女性たちの参加が必要です。
なぜならば、女性たちは出産・育児という人生のイベントを通して、「無条件の愛」を無意識に体現してきた存在だからです。

(やしろたかひろ)


関連記事
女性性の解放と開発、その条件・具体的な方法は?
http://iyasaka.saloon.jp/article/81018694.html
日月神示・碧玉の巻に示されている現状を打開する方法
http://iyasaka.saloon.jp/article/81292241.html
*プロ野球とソチ五輪で明暗を分けた日本女性が示唆する新しい時代
http://iyasaka.saloon.jp/article/87865173.html
*男女の仕組み、愛の仕組み、世界が変わる仕組み。
http://iyasaka.saloon.jp/article/87051542.html




mother358.jpg

posted by takahiro at 14:54| Comment(4) | 男と女の関係

2013年11月20日

女性性の解放と開発、その条件・具体的な方法は?

2014年は女性性を結集しなければならない年だと私は考えています。
さて、皆さんは、女性性の解放と開発について、そのための条件や方法についてはどのように考えておられるでしょうか?

男性目線の意見になってしまいますが、私は、女性たちが大勢集まって一緒に何か同じことをするような活動では、女性性の解放にはつながらないのではないかと考えています。

では、女性たちが自分の得意分野を生かして、個々に何か活動をしていればいいのでしょうか?
そういう、女性たちが運営する、あるいは女性たちが参加する勉強会やワークショップは、私の記憶では20年以上前からたくさんありました。
しかし、それ以降社会の中で女性性は全く解放されていないし、世の中は少しも良くなっていません。

じゃあ、何をすればいいの? ということですが・・・、
私のひとつの仮説として、女性たちが主体的に男性と絡むことによってしか、女性性は解放・開発されないのではないかと思っています。
男性と絡むというのは、必ずしも恋愛やSEXのことではありません。
女性たちが、男性に指図されるような形ではなく、主体的な意思と想像力とで、今の病的な男性たちを癒す方法を考えることです。
そうすれば、今の病的な男性社会は健康な社会へ変わるに違いないと思いますし、結果として女性たちも癒されて両性共に平穏な毎日を過ごせる社会になるのではないかと思うのです。

1月に都内でヴィーナスコミュニティーのリーダー会議を持ちたいと考えております。
私と中山康直さんは世話人・オブザーバーとして同席し、女性の人たちにこのコミュニティーのあり方を考えていただく会議です。
この会議に出席いただき、ヴィーナスコミュニティーの運営・企画等に参画していただける方を新規に追加募集しております。
※今回はセミナーではないので傍聴者は募集しておりません。会議に参加していただける方のみの募集です。

(やしろたかひろ)

関連記事
*女性性の男性性に対するはたらき
http://iyasaka.saloon.jp/article/77312505.html?1384947161
*プロ野球とソチ五輪で明暗を分けた日本女性が示唆する新しい時代
http://iyasaka.saloon.jp/article/87865173.html
*男女の仕組み、愛の仕組み、世界が変わる仕組み。
http://iyasaka.saloon.jp/article/87051542.html


°
posted by takahiro at 19:26| Comment(0) | 男と女の関係

2013年10月04日

女性性の男性性に対するはたらき

男性性は「粗暴」で、女性性は「温和」……このようなイメージでとらえている方が、非常に多いように思います。
そのようにとらえている女性たちは、自分の性格の攻撃的な面が男性性であると解釈しています。
このような理解の仕方がもし正しいと仮定するならば、それは男性性不要論、女性性一元推進論となってしまい、二元性の統合という結論にはたどりつかなくなってしまいます。

対人関係における攻撃性は、男性の場合は暴力と言われ、女性の場合はヒステリーと言われます。
男性のほうが腕力があるので、その分、男性が相手に与える被害のほうが物理的には大きいかもしれません。

私は以前に、男性性とは「闘う戦士」であり、女性性とは「癒しのアーティスト」である、と申し上げました。
しかし、私の言う「戦士」という言葉の意味は、三次元に対して果敢に挑戦していくという意味であって、必ずしも他人を攻撃したり争いを仕掛けるという意味ではありません。
言い換えれば、意識が三次元の社会へ向かっていくのが男性性であり、自己の内面へ向かっていくのが女性性であるということです。

不毛な戦いや暴力、攻撃、いじめ、搾取、……これらの原因はトラウマです。
トラウマは、男性的なものでも、女性的なものでもなく、トラウマから発生する様々な問題は、男性性・女性性という概念とは直接には関係ないものと思います。

侵略戦争をするのは男です。それは男性の持つトラウマが三次元社会の中で形として現れたものであり、侵略行為自体が男性性の働きではありません。
逆に、女性の持つトラウマは目に見えない干渉波となり、それが男性たちの精神に影響を与えたり、またそれが集合意識になれば天変地異の原因になるということもあるかもしれません。

改革や革命と、喧嘩や暴力とは本質的に違うものです。前者には愛があり、後者には愛がありません。
男性性の中には、愛のある戦いというのがあります。愛する妻や子のために自己の命を盾にするというのが武士道の精神でした。
男性性にも女性性にも、その根本には愛があるのです。

三次元社会に対して働きかけていくためには、リーダーシップが必要です。したがって、基本的に男性性の中にはリーダーになりたいという欲求があります。
しかし、トラウマを持っている男性のリーダー欲求は、しばしば相手を抑圧したり支配したりする行為に転化することがあります。

これまでの人類社会は男性の持つトラウマが大き過ぎたために、それが男性が女性を支配し抑圧するという事態を招きました。
女性たちが抑圧されたために、癒しのアーティスト的である女性性が解放されず、その結果として、自己を癒やす場を失った男性たちがますます支配的になっていくという悪循環に陥りました。
そのような悪循環の中で形成されたのが、現代の弱肉強食社会、強者が弱者を搾取するという社会です。

このような悪循環が起きた大きな原因のひとつに、私は、セクシャリティーに対するマインドコントロールがあると思います。
このへんの話になると、10月12日のイベントでスピーチをされる夏目祭子さんの専門分野となります。

今、私たちにとって重要なことは、男性性、女性性という言葉の正しい意味を理解することです。
女性性の解放は、男性性の解放にもつながります。
女性たちの女性性が開放されれば、その結果として男性たちが癒されます。
男性が癒されれば、男性性が開放されて、それが三次元社会に良い結果をもたらします。
愛のある女性性と、愛のある男性性がうまく絡み合い、融合すれば、平和で持続可能な社会が実現するのです。

(やしろたかひろ)


※関連記事
*二元性の統合。男性性と女性性、現代と古代。
http://iyasaka.saloon.jp/article/69575008.html
*プロ野球とソチ五輪で明暗を分けた日本女性が示唆する新しい時代
http://iyasaka.saloon.jp/article/87865173.html
*男女の仕組み、愛の仕組み、世界が変わる仕組み。
http://iyasaka.saloon.jp/article/87051542.html

posted by takahiro at 00:22| Comment(0) | 男と女の関係

2013年09月06日

婚外子の相続に対する最高裁判決と、山本太郎氏の隠し子騒動

2-315x300.png

*****************

両親が結婚しているかどうかで子どもの遺産相続に差を設けている民法の規定について、最高裁判所大法廷が「憲法に違反する」という判断を示したのを受けて、政府は、早ければ秋の臨時国会に民法の改正案を提出することを目指して、与党側との調整を進めることにしている。
民法では、結婚していない両親の子ども、いわゆる「婚外子」は、結婚している両親の子どもの半分しか遺産を相続できないと規定されているが、最高裁判所大法廷は4日、「婚姻、家族の在り方に対する国民意識の多様化が大きく進むなかで相続を差別する根拠は失われた」と指摘し、「法の下の平等を定めた憲法に違反する」という初めての判断を示した。
そして、法律婚という制度自体が定着しているとしても「子にとって選択の余地がない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、権利を保障すべきだという考えが確立されてきている」とした。
(ニュース報道より)

**************

この最高裁判断は、明治民法の中にあった戸主を長とする「家制度」の一部をそのまま引き継いでいる現行民法の規定を改めることを示しています。

この判決に対して、事実婚やシングルマザーが増えたのは、価値観の多様化ではなくてモラルの低下にすぎないとの批判があります。
しかし、そもそも「モラル」(道徳・倫理)とは何でしょうか?
一般的にモラルというのは不定形のものであり、国や時代によって変わるものです。

日本では、重婚は法律的にもモラル的にも否定されています。しかし、海外には重婚が法律的にもモラル的にも認められている国や地域があります。
私は、人としてやってはいけないことは、他人に対して故意に肉体的・精神的な危害を加えることと、自殺することだけだと考えています。これらは、「モラル」という言葉とは区別して「人の道」「人道」と言いたいと思います。
「人道」に反すること以外は、自己責任において個人の自由で良いということです。

とっくに愛情は切れていても、子供の問題で離婚することが出来ず、無理に婚姻関係を続けている夫婦が居ます。
不仲な両親の元に育つ子供が、果たして幸せでしょうか?
不幸にも、夫が再起不能の植物人間になってしまった妻が居ます。
夫婦としての正常な交流をすることが出来なくなった夫に対して、その生命を維持させる責任だけを負いながら子供を育てている女性が、自分を支えてくれるもう一人の男性が必要だと思うのは、人道に反しているでしょうか?

山本太郎氏が、“隠し子”がいたとされてバッシングに遭っています。
相手の女性は、脱原発や市民運動を通じて以前からの知り合いで、昨年8月の前妻と離婚後に交際を始めたといいます。
山本氏の支持者の中には「脇が甘い」と非難する人たちもおりますが、彼は革命家でなければいけないので問題無しと私は考えます。

日本では婚外子に対して「愛人の子」や「隠し子」といった差別用語が使われます。
子供に対してこのような差別をする社会の「モラル」とはいったい何でしょうか?

社会やマスコミが山本太郎氏の人格を判断するときの基準は、その子の母親が山本氏と婚姻届を提出した女性であったかどうかではなく、山本氏と互いに愛し合う関係であったかどうかだけで良いと思います。
最高裁判断は、実質的に、事実婚やシングルマザーに対して社会的な地位を認める新しい考え方に対して追い風になるのではないでしょうか。

(やしろたかひろ)


posted by takahiro at 15:51| Comment(0) | 男と女の関係

2013年06月17日

二元性の統合。男性性と女性性、現代と古代。

先日、私は、「男性性と女性性の違いとは何か?」というタイトルで、このようにまとめました。
「男性性」の働きとは、三次元的な意味で世の中を改革し、進歩させていくこと。
「女性性」の働きとは、精神的な意味で男性性の働きを支えること。
ひとことで言うと、男性性とは「闘う戦士」であり、女性性とは「癒しのアーティスト」である。

この記事は、いやさかサイトに移転しました。ここをクリックしてお読みください。



関連記事
*プロ野球とソチ五輪で明暗を分けた日本女性が示唆する新しい時代
http://iyasaka.saloon.jp/article/87865173.html
*男女の仕組み、愛の仕組み、世界が変わる仕組み。
http://iyasaka.saloon.jp/article/87051542.html


posted by takahiro at 22:15| Comment(0) | 男と女の関係

2013年03月15日

今、女性たちに何が起きているのか

男性性、女性性というのは感情や思考の傾向を意味する言葉であり、必ずしも生物学上の男性、女性のことではありません。
誰でも男女両性性を持っているのですが、一般的に女性のほうが女性性が強いと言って間違い無いでしょう。
時代は名実ともに女性性の時代に移行しつつあると言われ、それが好ましいとされています。

ところが今、女性性の精神的に不安定な面だけを極端に露出してしまっている女性たちが多いように感じるのです。

...この記事はいやさかサイトに移転しました。ここをクリックしてお読みください。



posted by takahiro at 22:09| Comment(0) | 男と女の関係

2013年01月22日

モソ族の「通い婚」と自立社会

先日、あるTV番組で、中国・少数民族モソ族の、目から鱗の生活様式を見ました。
この部族の婚姻様式は「通い婚」でした。

モソ族は、自分が生まれた家から誰も出ていきません。
女たちは兄弟姉妹と一緒に自分が生まれた家で一生暮らし、男たちも自分の家で暮らして好きな女の元に通うのです。
母系社会で家長は女。家督は女が継ぎます。
娘たちは成人すると独立した部屋を与えられ、好きな男性が娘の部屋を自由に訪ねることができるようになります。
一夫一婦制ではないので、好きな人がいれば互いに何人とも夫婦になれるらしいです。

男の仕事は主に農業や力仕事です。家のことは全て女がします。
家が分家しないので相続争いがありません。夫婦のどちらかが相手の家で暮らすということがないので財産目当ての結婚というのもありませんし、嫁姑の争いもありません。

これが究極の女性性社会のバターンなのでしょうか。
男が中心になると、どうしても力による競争が始まり、あらゆるものの奪い合いが始まります。
モソ族の社会では、異性の奪い合いも、富の奪い合いもないので、煩わしい悩みや将来の不安もなく、誰もが充足していて、皆とてもおおらかです。
このような人たちが、真に「自立」して暮らしている人と言うのでしょう。

今、このような一部の民族以外のほとんどの人類は、常に競争というストレスと生活不安に晒されています。そうすると、些細な事でイライラしたり、家族や他人とケンカをするようになります。
それが一線を超えると傷害や殺人を犯すようになり、さらに集団になるとテロや戦争に発展するのです。

日本にも素晴らしい精神性を持った女性たちがたくさんおります。
ところが、日本の女性たちは男性原理の中で力による抑圧を受けてしまっているために、本来持っている女性性を発揮することができておりません。
すなわち、生活様式が欧米化された現代社会とは、女性を自立させない社会なのです。
中にはそのストレスが原因で精神障害を起こすケースが多々あり、そのことが結果として人の和を乱す女性たちの存在に繋がっているような気がします。

かといって男性が自立しているわけではなく、力や金や地位に依存しなければ生きていけません。
また男性の中にも、女性性意識の強い者がいます。そういう男性たちは社会不適合となり、やはり精神障害を起こしたり、カルト宗教へ逃げ込むというような社会構造になっているのです。
社会システムという得体の知れないものに押え込まれている感情は、どうしても日常の人間関係ににじみ出てしまい、人間同士の対立を生んでしまいます。

モソ族の話は秘境の少数民族の話です。もし、このような生活様式が世界のスタンダードになったとしたら、どうなるでしょうか?
このような生活様式と近代文明とを、どのようにうまく融合させるかがカギになります。
その融合がうまくいった時には、まさにアセンションの完成形となるのではないでしょうか。

(やしろたかひろ)


関連記事
「家族」の定義が変われば人々の生活の不安が無くなり国家財政も改善する
https://www.yaei-sakura.net/earth/index.php?QBlog-20150125-1
スピリチュアルを突き詰めていくと、ヒッピー文化を避けて通れない
http://iyasaka.saloon.jp/article/80559565.html

posted by takahiro at 23:35| Comment(2) | 男と女の関係