
「コンプレックスをバネにして頑張る」
「悔しかった思いを力に変えて頑張る」
といった言葉があります。
ユングの定義によれば、コンプレックスとは、ある事柄と、本来無関係な感情とが結合された状態のことを言います。
何かをきっかけにして劣等感や屈辱感がまず産み出され、そのようなネガティブな感情が解消出来ないままになっていると、日常の精神生活の中にコンプレックスという感情が表面化してくるようになります。
メサイアコンプレックスというのがあるそうです。それは、無意識の中で実は自分が救われたいが為に、人を救おうとしたり、人のために何かをしようとするコンプレックスです。
それは「お前のためにやったんだぞ!」という押し付けになり、自分が救世主になるために、知らず知らずのうちにトラブルを作り出します。
これまでの社会は、人々のコンプレックスによって進歩発展してきたと言っても良いかもしれません。
しかし、そのような今までの世の中の進歩の仕方が良かったかどうかについては、熟考の余地があると思います。
「あの時の悔しい気持ちがあったから、自分は頑張って成功者に成れた」と言う人がいます。
そのように言う場合、成功者とは勝利者のことを言います。自分が勝利者になるためには、その比較対象となる敗北者が居る必要があります。
そもそも、劣等感や屈辱感というのは自分と他人とを比較することから生じるものですから、それをバネにして頑張るためには敗北者をイメージする必要があるのです。
そういうネガディブな感情を他人と戦うエネルギーに転嫁させて勝利者になるということは、もう一方で新たな敗北者を生み出し、新たな劣等感を生み出すことになります。
そのようなやり取りが増幅してくると、今の中東情勢のように終わりの見えない恨み合いになってしまうのです。
そのようにして勝利者になったところで、実は、それは自分にとっての一時的な慰めにしかなりません。自分の内面に抱えている本質的な問題は解決していないので、人生のあらゆる場面でその問題は沸々とまた違う形で出てきてしまうのです。
したがって、コンプレックスは、社会に対して向けるのではなく、自分自身のワークとして受け止める必要があると思います。勝つべき相手は他人ではなく自分であるということです。
個人個人のワークですから、その解決策はそれぞれで違います。自分で見出すしかありません。
それを見出すための方法としては、自分の中から湧いてくる痛みや恐れというネガティブな意識から目をそらさずに、常にそれをじっと観察していることです。そうすると、他人と交わって摩擦を起こす体験の中などから気づきが起こります。
これからは、人間が持つコンプレックスによって社会が発展していくのではなく、どうすれば皆でもっと幸福になれるのかというアイデアを出し合うゲームを人々が楽しむことによって社会が発展していく時代にしていかなければなりません。
そうすると、力んで頑張らなくても、ゲームを楽しんでいるうちに、いつの間にか世の中から問題が無くなり、ユートピアが実現していくことでしょう。
(やしろたかひろ)