ブログを引っ越しました!⇒ 新ブログはここをクリック

  このブログの親サイト⇒ 共生社会の共同建設を目指す【イヤサカの会】

2014年10月26日

スサノヲの到来!死と再生、反転の時。そして人類は麻布に包まれる。

ashikagam201410.jpg

「スサノヲの到来 ―いのち、いかり、いのり」
そのインパクトの強いタイトルに引き寄せられて足利市立美術館へ行ってきました!
会場に入ってまず驚いたのは、その出品数の多さでした。スサノオとはそれだけ奥が深く、その存在の神秘に魅かれた人々も多かったということなのでしょう。

「古事記」に登場するスサノオは以下の通り。

********************************************

susano-0.jpgスサノオは父イザナギから海原を統治するように命ぜられるがそれを聞かず、母イザナミを慕って根の国に行きたいと大泣きした。そのため青山は枯れ、海や川は干上がった。
イザナギに追放されたスサノオは、母の国に行く前に姉アマテラスに会いに高天原(天上世界)に上がった際に、占いによって自分が潔白であることを証明する。
しかし、その後高天原で乱暴狼藉を働き、服屋(はたや)に皮を剥いた馬を投げ入れてこれに驚いた機織り女が死んでしまったために、アマテラスは恐れて天岩戸に隠れ籠ってしまう。
アマテラスが隠れ包まれてしまったために高天原と葦原中国(地上世界)が闇に包まれるが、神々が相談して天岩戸の前でアメノウズメの踊りで湧き立たせ、アマテラスを岩屋から引き出す。
高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えてオオゲツヒメに食物を求めると、オオゲツヒメは鼻・口・尻から食べ物を出したので汚らわしいとしてオオゲツヒメを殺してしまう。すると、殺されたオオゲツヒメの体から蚕、稲、粟、小豆、麦、大豆が生まれた。これを見たカミムスビノミオヤノミコトは、これら五穀を大事に取り集めさせて種とした。
スサノオは出雲国に降り立ち、八俣のオロチを退治し、この地で宮を建てて住むこととした。
宮を造った時に、そこから雲が立上ったので、スサノオは和歌を詠んだ。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

その後、スサノオは7代目の子孫である大国主神に様々な試練を与え、試練を乗り越えた大国主神に葦原中国の支配者になるように言い渡し日本国を造らせた。

********************************************

泣き虫であり、乱暴者でもあり、さらに怪物を退治した英雄でもあり、そして日本の原型をつくった神でもあるという、多重人格的でまったく不可解なスサノオという神の正体をどのようにとらえるべきか?・・・私の中に燻っていたその謎が、この展示会へ行って少しずつ解けてきました。

ashikaga201410.jpg

足利市立市美術館学芸員・江尻潔氏はこのように語ります。「オオゲツヒメ伝説を見ると、スサノオは人々に農耕や飼育をもたらした文化的な働きを持っていることがわかる。
しかも母なる自然のオオゲツヒメを殺害し、その結果、人間は種を手にすることができた。これは気まぐれな自然に手を加えることにより、人間がコントロール可能な種を手に中したことを物語る。」
すなわち、スサノオは天から地上に降り立つ時に、女神の殺害、すなわち自然の制御という人間の側に立った行動を起こした。もともとスサノオ自身が圧倒的なエネルギーを持つ大自然そのものでありながら、ある時に、手つかずの荒れた自然から距離を保ち、それから身を守る方法を人々に気づかせるという、事態を反転させる神でもあったのです。

また、日本神話においてスサノオは泣きいさちる神として登場します。ネリー・ナウマン氏は、スサノオの涙の正体は命を与える変若水(おちみず)であると指摘しました。
スサノオは青山や海から命の源である水を奪って、涙として流したと記述されています。ここにも、命を奪って与えるというスサノオの「死と再生」の性格を見出すことができるのです。
井戸尻遺跡から出土した「蛇を抱く土偶」は、頭上にとぐろを巻いた蛇を乗せ、涙を流しています。蛇は不死の表象。ここに、後にスサノオと呼ばれる原型が見出されます。

そして、「創られたスサノオ神話」の著者・山口博氏の指摘によれば、服屋に皮を剥いた馬を投げ入れたとされるスサノオの行為は、悪神を追い払う力を備えた神聖な呪具である馬の皮を、騎馬民族の「天幕」の聖なる入口「天窓」から入れた儀式的行為のことであり、それが農耕民の文化においては理解されなかったと解釈されます。
この説が正しいとすれば、スサノオの狼藉話は冤罪だったということになります。占いによって自分が潔白であることが証明された話を含めて考えれば、スサノオとは純粋なエネルギーであるのです。
そうすると、アマテラスが天岩戸に籠った理由についても疑念が生じてきます。
古事記や日本書紀は、太古より語り継がれてきた神話が編者の主観や思いというフレームを通って完成されたと言っても良く、したがってその記述の中には誤解釈や捏造もありうるわけです。

「八雲立つ・・・」は、スサノオがこの地上世界に降りてから詠んだ歌です。
江尻氏は、この歌をアジール(聖域、避難所)をうたったものと解釈します。不安定な自然の中において安心してくつろぐことのできる、人間の居場所が八重垣というアジールなのです。
足利市生まれのアーティスト・栃木美保氏は、麻の布で八重垣を思い起こさせる作品をつくりました。下には水晶玉と鈴が付けられています。これは麻布による結界です。

maika.jpg

「麻布は、エナ(胞衣)のように私たちを護ってくれる。これは意識を整え、生まれ変わるための装置であると同時に、これから生まれ出る新しい魂のための八重垣である。ここにスサノオの母性的な一面が表れている。スサノオは八重垣をつくる神である。荒ぶる力と護りはぐくむ力、ふたつのはたらきをスサノオは備えている」(江尻潔)

人類の歴史の中で、世の中が不安定になるたびに終末論が唱えられてきましたが、日本では危機的状況下や時代の変換期にその都度、スサノオが想起されてきたそうです。
マイトレーヤとは、スサノオのことだったのかもしれません。スサノオは秩序を破壊するが、それは愛でもあり、人類の意識と文明が進化するプロセスでもあるのです。
まさに今は時代の転換期。スサノオが到来する時。死と再生、反転の時が来た!
そして、人類が麻の布に包まれる時代が来る。

(やしろたかひろ)

susanoo201410b.jpg

okamoto201410.jpg

※ここに写真で紹介した作品は、12/23まですべて足利市立美術館で観ることができます。



posted by takahiro at 11:21| Comment(1) | 神話と神示

2014年09月19日

世界に誇れる「日本神話」がやさしくわかります。

キリスト教においては、唯一絶対神が、大地と海、植物、魚、鳥、獣を創造し、最後に神の姿に似せて人間の男と女を創ったとしています。
しかし、日本には、男神と女神のまぐわいによって大地が産まれ、人間は神の子孫であるとする世界に誇れる神話があります。

GHQは日本政府に対して「神道指令」を発し、国家神道、皇室の伝統、歴史教育を全面否定することを求めました。
そのことは、何を意図していたか?
イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーは、「12〜13歳までに民族の神話を学ばなかった民族は必ず滅びる。」という言葉を残しています。

日本は、ギネスブックでも認定された世界最古の国です。
学校で教えてもらえなかったため知らない人、そして知っている人もここで改めて日本神話をおさらいしてみましょう!

天地開闢と国産み・神産み
http://www.yaei-sakura.net/index.php?society_h0011

天岩戸開と天孫降臨・日本国の建国・十種神宝
http://www.yaei-sakura.net/index.php?society_h0012

(やしろたかひろ)

izanaginami02.jpg


posted by takahiro at 22:29| Comment(0) | 神話と神示

2014年01月01日

☆弥栄新年☆ 神一厘の仕組みが発動する日がいよいよ近い

「世界一度にキの国(=日本)にかかりて来るから、一時は潰れたように、もうかなわんと言うところまでになるから、神はこの世におらんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたように見える時が来たら、神の世近づいたのぞ。
メリカ(=アメリカ)、キリス(=イギリス)は更なり、ドイツもイタリーもオロシア(=ロシア)も、外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。
神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ。八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。」
(日月神示 下つ巻 第14帖)
「外国から攻めて来て、日本の国丸つぶれというところで、元の神の神力出して世を立てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ。」
(上つ巻 第21帖)
「日本真ん中、ボタン1つで世界動くぞ」
(マツリの巻 第14帖)

日月神示の記述では、日本が世界中から攻められて、ほぼ国が滅ぶというところまで追いやられた時、神一厘の仕組みが発動されるボタンが押され、真の天の岩戸が開くと読み取れます。
「攻めてくる」という言葉は戦争を仕掛けられるというよりも、政治的な外圧に遭うと解釈したほうが良いのではないでしょうか。
まさに昨年は、TPPへの強制参加から始まって、安倍総理の靖国参拝をめぐって各国からバッシングを受けるなど、外圧の始まりが起こったように思います。

今のところ安倍内閣は歴代内閣と同じようにほぼアメリカの言うことを聞きながら政治を進めているように見えますが、本心ではアメリカの事実上の属国から解放されて日本を取り戻すタイミングを見計らっています。
それがバレて、もしアメリカの怒りを買うようなことがあれば、たちまち日本に対して欧米諸国による包囲網が引かれることになる可能性があります。さらに、日本が国際社会から孤立した状況に乗じて中国が領土問題をめぐり軍事行動を起こすという可能性も無きにしも非ずです。

さて、私たちが選択する道は、あえて神一厘の仕組みを発動させるためにそのような究極のシナリオを容認するのか、それとも安倍内閣に対してそのような状況を回避するような政策を懇願するのか?
選択すべきはそのどちらでもありません。第一は、何が起きても真中精神で冷静に構えていることです。
冷静かつアクティブに過ごすこと。社会活動でも、ボランティア活動でも、自分が楽しいと感じる活動に積極的に参加するのは良いことです。
今回の変化では、常に真中精神で、なおかつ楽しく生活することが出来る人は、たとえ何が起きても影響を受けないでしょう。今まで通りに普通に生活しているうちに、いつの間にか神一厘の仕組みが発動されていたという体験が出来るでしょう。

自分を愛せない人は他人を愛せません。
自分が日本人であることに誇りを持ち、日本人である自分を愛すること。そうすれば、世界中の国々や人々に対して愛をもって接することができるようになります。この境地に至って初めて真中精神と言えます。

ところが、GHQ占領下時代のアメリカによる刷り込み、そして現在も続く文科省の偏向教育およびマスコミによる偏向報道によって、多くの日本人までが、日本は侵略国家だったと信じ込まされています。
明治政府が近代化を早めるために天皇を神格化して中央集権国家を作ってきたのは事実ですが、基本的に日本は東アジア諸国と共に発展しようと考えていた国です。

朝鮮半島も満州も、日本は武力で制圧して支配したのではありません。
朝鮮は国家として自立しておらず、清国の属国で人々の生活は悲惨なものでした。満州は清国が滅亡してから日本が開拓しました。
いずれも、日本はそこを植民地としてではなく、本国同様に取り扱って統治したのです。

2013年の紅白歌合戦をみて、番組構成が昔とはかなり違ってきていることに驚きました。
もはや、紅組・白組のどちらが勝つかなんてどうでもいいことだと視聴者に思わせる内容になっています。紅白に分かれた応援団もいなくなった。出演者の誰が紅組で誰が白組なのかも、見ていてよくわからない。
さらに、昔はお堅いイメージの強かったNHKが、紅白歌合戦を完全にバラエティー化し、AKB48のメンバーの引退発表の場にも利用させました。
不必要な固定観念、こだわりを捨ててただ楽しくやる。今、日本全体がNHK紅白歌合戦のように変わるべき時です。

(やしろたかひろ)


関連記事
スサノヲの予感。「2015年、日本女性の直観力によって世の建て直しが始まる!」(日下公人)
https://www.yaei-sakura.net/earth/index.php?QBlog-20150117-1
「家族」の定義が変われば人々の生活の不安が無くなり国家財政も改善する
https://www.yaei-sakura.net/earth/index.php?QBlog-20150125-1

posted by takahiro at 00:00| Comment(2) | 神話と神示

2013年11月24日

日月神示・碧玉の巻に示されている現状を打開する方法

私はこれまで、民主主義という概念について疑問を呈してきました。

私が疑問に思っている点をわかりやすく言うと、
・一票の格差と言うが、もし国連が人口比で議決権を持つようになったらとしたら、世界はどうなってしまうのか
・母親が夕食の支度をしようとしている時に、もし料理のレシピを家族全員の多数決でいちいち決めるようになったとしたら、母のアイデンティティはどうなってしまうのか

民主主義は、なんでもかんでも多数決で決めて平等にしようという考え方なので、少数派を切り捨てたり、個人の自立を奪ってしまう側面があります。

それぞれの違いを認めて、各々の性格的特性や知識、得意分野等の違いで役割分担をし、その役割の仕事についてはその人に任せてしまう。
ただし、任せっぱなしにするのではなく、愛をもってお互いに協力し合う。
そのような、自立心と愛のある個人の集合が強い共同体となっていくと私は思うのです。

それから、多数派の意見が正しいとは言えないことも世の中には多々あります。
このことは、日月神示・碧玉の巻の中でも警告されています。

*****************
日月神示 碧玉の巻 第16帖
「メクラの人民がいくら集まって相談すればとて、すればする程ヤミとなるのぢや、行き詰ってあげもおろしも出来んことになるのぢやぞ、総てを数だけで決めようとするから悪平等となるのぢや、メクラをいくら並べてみても何もならん、早う改心せよ、新しきタマの選挙があるでないか」
*****************

ただし、偏った思想を持つ者が「大衆はメクラだ」という理論を振りかざして集団となればカルトになってしまうのですが、この部分についても日月神示に正しく示されています。

*****************
日月神示 碧玉の巻 第13帖
「日本精神は真中精神、日本は真中の国であるぞ」
*****************

すなわち、真中精神を起こすことこそが、メクラからの脱却になるのです。

今までの私たちの社会は、以下のいずれかにあてはまっていました。

・偏った意識、偏った思想を持つ一部の独裁者によってコントロールされる社会
・偏った意識、偏った思想を持つ大衆の多数決によってコントロールされる社会

いずれも、メクラ社会です。
もし大衆の大多数が真中精神を持っていたとしたら、多数決にも意義が出てくるでしょう。

今までの社会は、一人一人の個人が自立していない社会です。
自立していないから、マスコミの偏向報道によって、いとも簡単にマインドコントロールされてしまいます。

マスコミが偏向報道をせざるを得ない理由もあります。
メディアを運営する企業体に利害関係が絡まっていてがんじがらめになっている。つまり、マスコミ自体が自立していないのです。

さらに、そのようなマインドコントロールの仕組みをきちんと理解して活動している社会運動家の中にも、自立していない人たちが多いと思います。

社会運動家の活動動機の二パターン
a. 世の中を良くしよう、みんなが幸せに平和に暮らせる社会に変えていこう
b. 間違ったことをしている官僚や政治家を懲らしめて徹底的に潰してやろう

aは自立しているが、bは自立していません。
bは大麻などで逮捕歴のある人に多いパターンです。

自分が間違ったことをやっていないのに逮捕されたことは、同情に値すると思います。
しかし、仕返しや敵討ちというのは個人でやることです。そういう人がaパターンの人たちの中に混ざって活動することは、社会運動というものの本質を歪めてしまうことになりかねません。
脱原発ならば、今ならば誰がしゃべっても大衆の共感を得られるでしょう。
しかし、大麻については、内容的に正しいことを言っていたとしても、それを語る人自身がしっかりとした調和のマインドを持っていないと、大衆から見たときにマフィアが麻薬を正当化しているだけのように見えたり、あるいはエセ同和のようなイメージに映ってしまいかねません。

さて、人々は、なぜ真中精神を持てなくなったのでしょうか。
どうすれば、この現状を打開できるのでしょうか。
そのヒントも、日月神示・碧玉の巻の中に示されていました。

*****************
日月神示 碧玉の巻 第10帖
「岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、(中略)
夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。
その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。
同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。」

*****************

簡単に言えば、男性性と女性性がどちらかに一方的に偏らず、融合することによって、本物の第三の道が創造されて世の中が安定すると読み取れます。

(やしろたかひろ)


≪関連記事≫
アマテラスの後ろの正面がニギハヤヒ?
http://iyasaka.saloon.jp/article/80801410.html
女性性の解放と開発、その条件・具体的な方法は?
http://iyasaka.saloon.jp/article/81018694.html
マインドコントロールについて
http://kurasu.biz/

≪PR≫
前回の中山弥栄塾のDVDが完成しています。
https://www.ooasa.jp/school/index.php?dvd

posted by takahiro at 15:30| Comment(0) | 神話と神示

2013年11月17日

アマテラスの後ろの正面がニギハヤヒ?

DSCN0750.JPG

私の住んでいる小山市から車で30分程行ったところに、大麻で町興しをしている栃木農業高校があり、そのすぐそばに大平山があって、大平山の山頂近くに 天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)の三神を本堂にお祭りしている大平山神社があります。

私が埼玉から栃木に移り住んだのは1999年の暮れなのですが、栃木県内には景勝地が多い中で、私の心が最も惹かれたのがこの大平山神社でした。それ以降、私は気分転換をしたいとき、元気が欲しいときなどに、ここへたびだびお参りするようになりました。

当時は、私は中山康直さんと出会う前で、まだ大麻に関する深い認識も、日本神話に関する詳しい知識もありませんでした。したがって、大平山のそばにある栃木農業高校の存在も、そこからさらに車で30分程行ったところに大麻草の一大産地(現鹿沼市/当時は粟野町)があることも全く知りませんでした。
ですから、私の場合はいつもインスピレーションが先で、知識や出会いは後からついてきています。

私が最近知ったことは、この大平山のかつての名前は「三輪山」であり、それ以前はニギハヤヒ(饒速日)がこの神社の主祭神だったらしいということです。
今月の12日の明け方と13日の明け方の二日連続で、「新しい道」と「登る道」という「道」がテーマとなるメッセージドリーム(夢のお告げ)を見まして、その流れでニギハヤヒがどこに祭られているのかを確認するために、再び大平山神社へ行きました。

ところが、現在この神社には三神のほかにも数々の神様が祭られているのですが、境内をくまなく散策しても、公式ホームページを見ても、ニギハヤヒの名前が出てこないのです。
平成19年まで封印されて立ち入り禁止だった、この山のより山頂に近いところにある奥宮にニギハヤヒが鎮座しているという噂があったので、それも改めて確認しに登ったのですが、奥宮に祭られているのは天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)であり、やはりニギハヤヒではありません。
奥宮のすぐ横に小高い丘があって、その丘の頂上に通じる古い道があるのですが、その頂上には何もありませんでした。(もしかしたら、ここにニギハヤヒが封印されているのか?)
そして山頂には浅間神社があるのですが、祭神は木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)です。

これまで大平山へは何度も行っていたのですが、メッセージドリームに導かれて行った今回、私にとって初めての「気づき」になったことが二つありました。

ひとつの気づきは「ニギハヤヒ」イコール「日本」なのではないか?ということです。
封印された状態のニギハヤヒ、つまり封印された日本が、戦後日本として今浮上してきている。

ただ、例によって私はニギハヤヒについてほとんど知識を持っていなかったので、このインスピレーションをもとに、昨日から今日にかけてネットサーフィンをしてニギハヤヒについて情報収集をしていたのです。

そうしたら、奈良県にある三輪山(栃木・大平山のかつての名前も三輪山)がニギハヤヒが封印されたとされる場所であること、奈良の大神神社は本殿をもたず三輪山そのものを神体(神体山)としていること、その大神神社の主祭神である大物主大神 (おおものぬしのおおかみ)がニギハヤヒの別名だという説があること、古代・邪馬台国があった場所は奈良であることが現在有力な説になっていること、ニギハヤヒは「十種神宝」だけでなく「ひふみ祝詞」をおろしたとされること、ニギハヤヒは当時この地にいた縄文部族と融合して神国「日の本」を作るはずだったことなどを知りました。
ただ、ニギハヤヒについては謎が多いとも言われ、これらの諸説がどれだけ正しいのか、私はまだ全容を理解しておりません。

もうひとつの気づきは、今回大平山へ行ったときに意識の転換か起きて、(これはこの神社やニギハヤヒとは直接関係が無いことのように思うのですが) 私がスピリチュアリティーを語る時の論点が「オタク」から「ヒッピー」に変遷したということです。(この件については前回の記事に書きました)

栃木の大平山は、アマテラスが祭られた本堂の裏側に山頂があります。アマテラスの後ろの正面がニギハヤヒ?
この私の体験は、最近の中山康直さんの講演の中にある、アマテラスとニギハヤヒの話とも深くつながってきました。

最近の中山さんの講演を聴かれていない方は、DVDの第19巻「神の正面にいる神」をお勧めいたします。
https://www.ooasa.jp/school/index.php?dvd

(やしろたかひろ)

posted by takahiro at 16:55| Comment(0) | 神話と神示

2009年12月10日

アセンション・プロジェクト

先日の私からの問い掛けに対して、皆様から様々なコメントをいただきました。
http://iyasaka.saloon.jp/article/34065462.html#comment
どの方のご意見も的を得ているように思います。
アセンションに関する私の意見については、10日配信のメールマガジンに書かせていただきましたが、こちらではその内容を要約して以下ご紹介させていただきます。


アセンションとは、地球規模の楽しい「お祭り」です。
私にとってみれば暦の解釈とか、予言がどうとかいう事は、話のきっかけに過ぎないものであって重要なことではありません。
なぜならば、私はアセンションが世の中の話題になること自体に大変重要な意義があると考えているからです。
アセンションが話題になることによって、人々が今までの社会のあり方や、今までの自分の生き方を見つめ直してみる絶好の機会になるからです。

未来とは決定されているものではなく、人間の意識によっていくらでも変わるものです。
したがって、重要なことはアセンションが天の意志によって予定されているかどうかではなく、私たち人間の意識がどうであるかです。

世の中が混乱した時に、この世の中を変えたいと本気で考える人の数が増え、そういう多くの人々の意識と具体的な行動が目に見えないエネルギーとして結集される。
エネルギーの結集があるレベルに達したときに「百匹目の猿」現象が起こり、大転換が起こる。
これが私の考える、日月神示の言う「神一厘の仕組み」の真相です。

私共「いやさかの会」とは、ほおじろえいいちさんが説明されている百匹目の猿現象を起こしてしまおうという主旨を持ったプロジェクトです。
そのプロジェクトのひとつの目標点が2012年なのです。

アセンションを期待するのではなく、私たちの意志でアセンションを起こすのです。
「起こす」とは、今まで寝ていたものを目覚めさせることです。もともとあったものを引っ張り出すだけの事ですから、皆でやれば難しい事ではありません。

世の中には、このようなお祭りを実現させようと決意している人たちもいれば、抵抗勢力もおります。
人々の集合意識を、お祭りではなく不安や心配の方向へ駆り立てて、「逆」の百匹目の猿現象を起こしてアセンションの実現を阻止してやろうと考えている人たちがいるのです。
それは「闇の勢力」と呼ばれる人たちであったり、しばしばマスコミなどに登場して終末論を声高らかに唱える自称・予言者だったりします。

しかし今、そういった抵抗勢力の力は確実に衰えてきています。
したがって、志ある者が楽しくお祭りを一緒にやっていく仲間を少しずつ増やす努力をしていくだけで、好ましい形の百匹目の猿現象が起こりやすいタイミングにあるだろうと思います。

それでもアセンションは無いと断定する人は、目に見える世界しか信じていないか、やる気が無いか、あるいは自信が無いのでしょう。
アセンションは5次元以上のレベルで起こる事です。パラレルワールドといって、個々の意識レベルの違いによって次元上昇が出来る人と出来ない人とに分かれるという説もあります。

 「これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりて呉れよ。」 (日月神示)


 ▼アセンション号に乗船するためのスペーススーツ“麻ふんどし”
  http://www.yaei-sakura.net/iyasaka/


posted by takahiro at 23:10| Comment(0) | 神話と神示