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2014年07月04日

集団的自衛権にフォーカスすると思考が行き詰ります

今日は個人的な話から始めますが、2012年から今年にかけて、私にとって「弛緩」と「開放」の波が起きました。
昨年の秋頃から「片付ける」(人生や過去にかたをつけること)というワードにフォーカスしていたところ、このたび遂に大きな生活の変化を体験しました。それは、先日にフェイスブックでカミングアウトさせていただいた通りです。
この件については、出版を目的としないノンフィクション小説を書き上げて関係者に配布することが、私の最後のワークになりそうです。
今、私の心の中では、これまで自分が背負ってきた大きなものを手放したことによる喪失感のような感傷と、苦労が無くなったことによる安堵感や静寂感が同時に湧いてきているところです。私にとって、今年はリセットの年になるのかもしれません。

ところが、そういう私の個人的な状況とは反対に、今の世の中は静寂とは程遠く、どんどん緊張しているように思われます。
世の中と言っても、私が感じているのは政治や経済のことではなく、個々の人間、個人のレベルでの緊張を感じるのです。つまり、多くの人が病んでいるということです。
それは最近のニュース報道を見ていても思いますし、またこれは気のせいかも知れませんが、私の周辺では救急車のサイレンの音が以前よりも頻繁に聞こえるようなったような気がするのです。

集団的自衛権の行使容認に関する問題にしても、マスコミの偏った報道や論評の仕方に扇動された個人が集団になって大騒ぎをしているにすぎず、私には「何を今さら」という感覚でしかありません。
憲法第九条という観点から言えば、自衛隊の存在自体が大ごとなのであり、さらに国内に米軍基地があること自体が大ごとであるはすです。それらは明らかに日本が保有している軍隊なのですから。
アメリカが東アジアで戦争を起こせば、当然に日本の国内にある米軍基地は攻撃される標的になります。
現実的な意味で世界の常識を言えば、自衛隊と米軍基地を容認すれば、集団的自衛権は否応なしに自動的に付いてくる話です。

つまり、この問題でデモに参加している人たちは、原子力発電所の建設と稼働を容認して、原発から来る送電線の設置工事に反対しているようなものです。
集団的自衛権の行使容認に反対するならば、その前に自衛隊と米軍基地に反対しなけれぱ本末転倒だと思うのです。
中国が日本を侵略することを計画し、その発表をしているという話もありますから、もしそうなった時に日本は軍隊を使って自衛するのか、あるいは何があっても非武装中立を貫くのか、その2つに1つの選択肢しか無いと思うのです。
いずれにしても、私達が選挙で選んだ政治家たちが判断することですから、基本的にそういうことは、私はなるべく関知せずに政治家に任せたいという思考です。

真の平和とは、憲法第九条がどうだとか、自衛隊のあり方がどうだとか、そんなことよりももっと先にあるものだと思います。
現実に対してただ反対するだけではなく、これから具体的にどのような手法で、どのような手順で、どういう社会を作っていくのかという現実的な思考が私達一人ひとりに求められます。

そのためには、一人ひとりに「弥栄の意識」が必要です。
自分と周りの人々が一緒に繁栄していくためには、どうしたらいいのか。
日本と近隣諸国が一緒に繁栄していくためには、どうしたらいいのか。
もともと日本人は、そういう大人の思考をすることが出来る民族だと思います。

とりあえずは、日本がエネルギーや食糧の供給を海外に頼り、そのために実質的に日本国がアメリカに支配されてしまっている状況から早く脱皮しなければならないでしょう。
安倍首相は農業の振興を政策に掲げていますが、TPP攻勢などによって日本国の自給自足社会化はアメリカからの妨害工作を受けて政治家たちが四苦八苦していますから、政治任せではない私たち庶民レベルでの努力も必要です。
個人や少人数で日本全体を動かすことは出来ませんが、エコビレッジ活動など地域単位のコミュニティを立ち上げていくことは可能です。

私達自身がマスコミの偏向報道に煽られている状況や政治依存から抜け出して、もっと自立して自ら具体的に行動することが先決なのです。

(やしろたかひろ)

posted by takahiro at 21:26| Comment(4) | 現代社会を考える

2014年02月25日

Facebookでシェアされている「道徳」の4コマ漫画について

最近、「道徳」というキーワードがついて、facebookで多くの人によってシェアされている4コマ漫画があります。


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これの意味がわかりました。

この記事は、別サイトに書きました。

*政治とは、「正解がない」二者択一を積み重ねること。
http://www.hemp.jp/index.php?QBlog-20140225-1


やしろたかひろ

posted by takahiro at 22:13| Comment(0) | 現代社会を考える

2014年02月05日

現代日本の貧困シングル女子問題、根本原因は?

バブル景気が崩壊した頃から続いている、ワーキングプア女性の問題。
昔のセーフティネットは国の社会保障ではなく、家族でした。
この記事は、別サイトに書きました。

「ワーキングプア女性の風俗嬢化なだれ現象」
http://www.hemp.jp/index.php?QBlog-20140205-1



関連記事
*大家族の復活が国家財政を改善させる
http://iyasaka.saloon.jp/article/62202201.html
*社会保障費問題の解決策は、今の制度の中には無い
http://iyasaka.saloon.jp/article/74163182.html

posted by takahiro at 13:47| Comment(0) | 現代社会を考える

2014年01月26日

都知事選挙、福島県民が東京都民の皆様に問います!

311直後の「こどもの日」となった2011年5月5日、私はこのような記事を書きました。

「までい」の里、福島県飯館村の悲劇
http://iyasaka.saloon.jp/article/44896037.html


この飯館村の話題で、本日付けの産経新聞ニュースにこのような記事がありました。

********************************

「飯舘村は21世紀の谷中村だ」村民と語り合う西村議員

「全村民が村を無理やり出されるなんてこれほど理不尽なことはない。足尾銅山の鉱毒で廃村に追い詰められた谷中村を守ろうと立ち上がった田中正造は谷中村を滅ぼすことは日本を滅ぼすことになると思って谷中村を守った。飯舘村は21世紀の谷中村だ」

福島県飯舘村の綿津見神社に西村真悟衆院議員が訪れた。西村議員が飯舘村を訪れるのは5回目だ。西村議員は原発事故以降の政府の対応の理不尽さに怒りをあらわにした。

西村議員は全村避難が始まった平成23年5月に訪れてから定期的に村を訪問している。福島市にある飯舘村の仮庁舎ではなく、実際に飯舘村の役場や牧場などに足を運びんで直接村民から話を聞き、村内の状況を視察している。線量計も持ち歩いて各所を自ら測定もしている。

雪が積もった村内は寒さが厳しかったが、東京から車で駆けつけた西村議員はコートも着ずにセーターのみで綿津見神社に着いて早々、参拝し、多田宏宮司に面会した。

多田宮司は全村避難となった後も、神社にとどまり村を守っている。村の冬の夜は氷点下にもなる寒さの中、人のいなくなった村で一人で過ごすことは相当な心労だ。3回目の越冬は筆舌に尽くしがたい思いがある。

多田宮司は「神社は自然と生きるものですから。神様を置いてこの場を離れることはできない。一人でもお参りに来るうちはここを離れることはできませんね」と話すと、西村議員は「坊さんは、因果と言ってさっさと諦めるが、いざとなれば行動的なのは神主ですな」と孤軍奮闘する多田宮司を励ました。

綿津見神社がある場所は小学校や民家もあり決して山奥ではない。しかし、最近では自宅付近にイノシシなどが出没するようになったという。

多田宮司は「誰もいなくて静かですのでイノシシの『カーッ』という鳴き声が聞こえてくるんですよ。動物が我が物顔でいますね」と現状を憂いた。

多田宮司は今年の初詣の状況や、飯舘村がかつては馬や炭の産地でたびたび見舞われる凶作と闘いながらも懸命に村で生きてきた人々の歴史なども説明した。

多田宮司は「すでに避難が解除された地域の状況を見ても、一度村を出たら戻ってくるのは困難だと思います。放射能の恐怖もそうですが、村よりも便利な場所で暮らせば暮らしの方がいいですし、これから村がどうなるのかも分からない。帰村となっても人が戻ってくるか分からない。その辺を今後どうしていくのかが心配ですね」と話した。

震災からまもなく3年になろうとしているが、飯舘村をはじめ福島県内では約9万人もの人が避難している状況だ。

「飯舘村はどのくらいの人が戻っているのですか」

県外の人にそう聞かれることがよくある。そのたびに全村避難が続いていることを説明すると同時に風化や関心のなさを感じる。とくに昼間は除染作業員や見回り隊、村内で稼働する企業に通う人などで村内には大勢の人が出入りしている。しかし、夜になると一転して外灯も家の明かりもなく真っ暗になる。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140126/trd14012607000000-n1.htm

********************************

今、東京都知事選挙戦が真っ只中で、原発が大きな争点となっています。
私が疑問に感じていることは、東電の大株主でもない東京都が、具体的にどうやって脱原発をやるのか?・・・ということです。

今は「脱原発」を言っていれば人気が取れます。
しかし、それが都知事選挙に勝つための、策の無い単なるスローガンであってはならない。

1300万の人口を抱えている東京都が、今まで通り電力の供給を県外に頼るのならば原発は稼働するでしょう。
東京都が本気で脱原発をやろうと言うのならば、そのための予算を取り、都民の生活を賄えるだけの電力が供給できる火力発電所を都内に建設してほしい。
生活インフラが発達し便利な暮らしをしている都会の人々が、何もないところで助け合って生活している過疎地の人々にリスクを押し付けるべきではない。

私は問う!
都内に大規模な発電所建設。・・・声高らかに脱原発を言っている東京都の有権者の皆様、そこまでの責任感と覚悟はありますか?


2011年5月5日の「天声人語」に書き添えてあった以下の言葉を心に留めておいていただきたい。

  ―― 原発の受益者は都会人なのを忘れることなく ―― 



(やしろたかひろ)

※福島県会津地方の市民有志が、エネルギーの自給を目指す「会津電力株式会社」を設立。原発に依存しない社会づくりを進める。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131022-00000010-fminpo-l07

posted by takahiro at 20:02| Comment(1) | 現代社会を考える

2014年01月10日

そもそも世の中に“弱者”を生み出したのは誰なのか?

以前にも書きましたが、私は一般的な人々と比べて転生した回数が極端に多く、そのために主たる守護霊というのがおらず多数の守護霊団に守られていることを、ある霊能者の方から告げられたことがあります。
そして、過去世から今世に至るまでどの生涯でも私が一貫して持ち続けているテーマが「弱者救済」なのだそうです。

今、私が考えている「弱者」とは、社会的地位の低い人ばかりではありません。
中山康直さんの大麻裁判を通して、私は、間違った法律に縛られて個人の自由意思を認められていない裁判官や、アメリカからの威圧を受けて真に国民のための政治が出来ない歴代の政府閣僚たちも、結局は相対的に弱者なのだと感じました。
さらに、戦後、GHQによって植えつけられた間違った知識と自虐史観の呪縛から解かれていない日本の官僚たちも、また弱者であると思いました。
したがって、私の弱者救済は日本国の救済でなければいけないと考えています。

もちろん、自分の心身の不調を治療するという目的があって大麻に手を出し逮捕されてしまったような人たちもそうです。早く医療大麻が合法化されなければいけないと思います。

ただし、これも以前に書きましたが、大麻問題に関しては、逮捕歴のある人々にありがちな「間違ったことをやっている官僚や政治家を懲らしめて徹底的に潰してやろう」という敵討ち・仕返し志向の人たちとは、私は友達にはなっても社会活動の仲間としては組まない方針です。
その理由は、間違ったことをさせられている官僚や政治家も弱者であり最終的には和解し合う対象であること、そして、仕返し志向の強い人たちと下手に組めばその社会活動の大衆から見たイメージが悪くなってしまうからです。
また、個人的な仕返しは社会活動には馴染みません。それは個人が自己責任ですることであって、誰かに協力してもらうのは自立していない人のすることだと思います。

昨年、「半沢直樹」というドラマが流行りました。
まさに仕返しをテーマにしたドラマでした。仕返しをするために、弱者が強者に成り上がろうとする物語でした。
「倍返しだ」と言い続けてついにその目的を達成した主人公が、最後にはどうなったか・・・?

大麻にフォーカスして申し上げましたが、現代日本が抱えている様々な問題、例えば原発、TPP、増加する犯罪、少子化、核家族化、無縁社会に至るまで、それらはアメリカの世界戦略の弊害として起きています。
では、アメリカを懲らしめればいいのか? ……アメリカ人が悪いわけではありません。大統領が悪いわけでもありません。大統領の上に国家をまたがった権力者層があります。
では、その権力者層を叩き潰せばいいのか? ……それも違う。

私たちが体験している全ての状況は、今生きている私たちに与えられた三次元ワークショップのカリキュラムの一環です。
問題の物理的原因がどこにあるのか、その客観的事実を正しく知ることはワークを遂行していくための大切な要素です。
しかし私たち民衆が、世の中で起きていることを、政治家のせい、官僚のせい、過去の歴史のせい……と、責任転嫁しているうちは状況は何も変わらないでしょう。
そういう人間の自立していない依存の意識が恐れに変わり、恐れが集合意識となって生存競争と搾取の世界が創造され、弱者と被害者を創造したのです。
今年からエネルギーが大きく変わっています。私たちの意識(集合意識)を依存から自立へ修正することが出来たならば、世の中はすぐにでも良くなるでしょう。

(やしろたかひろ)

*中山大麻裁判について
http://www.taimasou.jp/judge/

関連記事
*宇宙は巨大なホログラム。意識が”現実”を創っていた!
http://iyasaka.saloon.jp/article/82683244.html
*パラレルワールド・引き寄せの法則…思い通りに現実を変える方法
http://iyasaka.saloon.jp/article/82937540.html

posted by takahiro at 19:13| Comment(0) | 現代社会を考える

2013年12月28日

靖国問題、日本の神様は人を善と悪に分けません。

年末になって、靖国問題、辺野古基地問題なとがマスメディアを賑わせています。

靖国問題について言えば、「戦犯」と「戦犯ではない兵士」とを分けるときに、誰がどのような基準で判断したのでしょうか? アメリカには戦犯がいないのでしょうか?
日本を「侵略国家」だと定義したのも、「戦犯」を定義したのもGHQであって、戦勝国の価値観がそのまま現在の東アジア諸国の人々、それから日本人の価値観として刷り込まれたままになっているのです。
仮に、日本の首相や閣僚が靖国参拝をやめて中国や韓国に対して一時凌ぎのご機嫌取りをしたとしたとしても、本質的な問題は何も解決しません。中国人や韓国人の日本人に対する誤解に基づいた恨みの想念がある限り、決して私たちが彼らと友好的に付き合える日は来ないでしょう。

神道は、「人」と「神様」とを分けないし、人を「善」と「悪」に分けません。
政治と宗教を結びつけるなという批判もありますが、こういう考え方の神道が、はたして宗教と言えるのでしょうか?
これは極論かもしれませんが、戦争はお互い様の喧嘩なのですから、仲直りした後には日本の神社に敵国の兵士を祭っても良いのではないかと私は考えています。でも、一神教の国の人たちはそれを好まないでしょう。同様に、今回、公明党が不快感を示したのも当然ですね。
一神教の国の人たちから見たら神道は曖昧でいい加減に見えるかもしれませんが、それが大らかで寛容な日本人の精神であり文化なのです。

私は、戦争には反対の立場です。いかなる理由があったとしても、武力や暴力で決着を付けるような手段には反対します。
ただ、今までの国際社会では、相手から攻撃や兵糧攻めのようなことを仕掛けられた時、また、黙っていたら自国が侵略されるであろうことが判っていた時にどうするかという現実的な課題と向き合っておく必要がありました。(個人的な思いとして、ここはあえて、過去形で言っておきたいと思います。)
日本が第二次世界大戦への参戦に踏み切った直接の理由は、石油を止められたからです。

靖国神社の目的については、武田邦彦教授の説明がわかりやすいです。
http://kurasu.biz/index.php?yas_01

当時の日本と韓国の関係については、こちらをご参照ください。
ここで中山成彬氏が語っていることは、従軍慰安婦の問題だけではありません。
http://kurasu.biz/index.php?ian_01

南京問題については、こちらをご参照ください。
http://kurasu.biz/index.php?nan_01

山口采希さんによる教育勅語の歌も面白いです。
教育勅語の十二の徳目は、まるでモーセの十戒のようです。
http://kurasu.biz/index.php?tokuiku_01

満州国については、ロシアや中国との利権争いの中で、日本が事実上支配したことは確かです。
当時の満州は中国の一部ではありません。清国が滅亡して中国と満州は別の国になったのです。大陸は、歴史上何度も国家と国境線が変わっており、固有の領土というのは本来ありません。
イギリスと中国が干渉してくるまでは、満州は平和的に統治されていました。仮に満州が欧米諸国の手に渡っていたら、人々の暮らしは酷いものになっていたでしょう。
もし満州を支配したことだけで日本が侵略国家だったと評価するのならば、あの当時のアメリカも、イギリスも、ロシアも、中国も、皆、同じく侵略国家だったという評価をしなければ不公平になります。

私たちが第二次世界大戦を自省しようとするときには、戦争に勝った国による価値観の刷り込みによる間違った歴史認識を持ったままで行うのではなく、事実をきちんと捉えた上で行うことが大切です。
今、なぜそうしなければいけないのかという理由は、山口采希さんの歌と、こちらのページを参考にして各自で感じてみていただきたい。
http://kurasu.biz/index.php?nihon_01


※12/29 追記

神一厘の仕組み
「日本真ん中、ボタン1つで世界動くぞ」(日月神示 マツリの巻第14章)
記紀の岩戸開きに出てきた天照大神はニセモノ。2013年、伊勢、出雲、同時式年遷宮。真の岩戸開きはこの後始まる。日本が9分9厘絶体絶命の状況に追い込まれた時、閉ざされている真の天の岩戸が開く。(飛鳥昭雄)


靖国神社はもともと招魂社という天皇家の私的な神社であり、安政の大獄などで徳川幕府に殺された勤王の志士を慰霊したものであった。それが明治維新によって、彼らが「官軍」となってから制度化された神社であり、もともと国家の戦死者をまつる神社ではなかった。だから、天皇家の私兵の神社に首相が参拝するのは間違いだという意見がある。
しかし、それは、中韓などが日本を批判している理由とは違う。
あえてそこを問題にするのであれば、国家の戦死者を護国神社など別の神社へ移し替えるように国民運動を起こせば良いのであって、あるいは靖国に西郷隆盛も祀るように国民運動を起こせば良いのであって、首相が不戦の誓いと共に国家の戦死者を供養してはいけないという理由にはならない。
成立経緯をことさら問題にするのならば、日本のものを含めて世界の宗教施設・礼拝施設の多くはもともと誰か特定の人々・民族の利益のために人為で設立されているのであり、そこまで言ってしまうのであれば、日本国という国家が設立された正当性さえ疑わなければならなくなる。
三次元的な理屈もある程度考慮する必要があるが、大切なのは心のあり方であり、その神社が過去にどのような経緯で設立されたかよりも、現在に生きている自己がどのような心で参拝するかである。
日本の神社の本当の主祭神は今生きている自己である、ということを忘れてはならない。


(やしろたかひろ)

関連記事
軍産複合体が解体へ向かうか? Xmasは新しい時代を迎えるお祭り
http://iyasaka.saloon.jp/article/83077832.html
特定秘密保護法、エネルギー、改憲問題…視点を変えて政治を考える
http://iyasaka.saloon.jp/article/82803669.html

posted by takahiro at 11:12| Comment(2) | 現代社会を考える

2013年12月19日

特定秘密保護法、エネルギー、改憲問題…視点を変えて政治を考える

「精神世界と物質世界とを区別する時の基準は、それに明確に識別できる“大きさ”があるかどうかということである。
しかし、人間を含むすべての物理的現実が存在している“宇宙”を物質と考えて、“宇宙”が幅や高さや容積のある空間であると仮定してしまうと、明らかに矛盾が生ずる。
ということは、私たちが物理的現実と認識している世界は、すべて精神世界に内包されているのだ。すなわち、宇宙とは一つの大いなる意識のことである。」

以上は、私が32歳の時に、科学者の思考ではない、素人の単純明快な現実的思考で考えて到達した結論でした。三次元的な思考では「宇宙の果て」が全くイメージできないのです。
先日「VOICE OF RUSSIA」から転載させていただいた宇宙ホログラム学説は、これに通じるものと思います。
http://iyasaka.saloon.jp/article/82683244.html

宇宙が一つの大いなる意識であるとしたら、それは私たち一人一人の意識とも繋がっているわけです。宇宙ホログラム学説から言うと、むしろ両者はイコールであると考えるのが妥当でしょう。
一人一人に別の宇宙があり、したがって、物理的現実は個人の思考で変化させることもできる。

これからは、私たちのすべての生命活動において、目に見えるものに対する価値観(物質的価値観)と目に見えないものに対する価値観(精神的価値観)とを切り離して考えることができない時代へ移行していくでしょう。
経済活動においてこのような考え方を提唱する経営コンサルタントも現れました。
http://www.hemp.jp/index.php?QBlog-20131218-1


私たちには、より柔軟な思考と想像力が重要になってきます。一面だけを見てネガティブな決めつけをしない、多角度的思考をしてみることが必要です。
そして、新しい時代の実行力のあるリーダーになれる人は、物質的価値観と精神的価値観とが両立している政治家、経済人、科学者…などでしょう。

私は、ポジティブな意味で、安倍晋三さんが近年稀に見る実行力の伴った総理大臣だと思っています。

特定秘密保護法は外国によるスパイ活動を意識した法律であり、対国民を意図した法律ではありません。
マスコミに煽られてこの法律に反対している人たちは、法律の文面にある「その他」という言葉が拡大解釈される可能性があると危惧しています。しかし、拡大解釈という理論ならば、すでに日本国憲法が拡大解釈されて日本は軍隊を保有しているわけです。今さら拡大解釈を目論んだ新しい法律を制定する必要があるでしょうか。
私は「日本を取り戻す。」というキャッチフレーズを掲げて出てきた安倍さんが、原発事故を隠ぺいするための法律、すなわちアメリカに隷属するための法律を作ろうとしたとは思えないのです。
逆に、日本の指導者たちの通信がアメリカによって傍受されっぱなしの状態で、日本を取り戻すことなど出来るでしょうか。
多くの国民に反対されて支持率を落としてでも、この法律の制定を急がなければならない理由が、安倍さんにはあったのではないでしょうか。

今すぐに原発を全廃しても石油があるじゃないか、と考えている人が多いと思います。私は福島県出身です。原発は絶対に無いほうがいいと思っています。しかし、石油は日本では採れません。
池上彰氏が「そうだったのか!学べるニュース」(TV朝日)で判りやすく解説されていましたが、日本が第二次世界大戦に参戦した理由は石油を止められたからです。
日本が今すぐに原発を全廃すれば、足元を見られて原油の輸入価格が跳ね上がるでしょう。万が一、アメリカの石油利権たちの機嫌でも損ねてまた石油を止められたら? 下手に原発を止めると日本はエネルギー危機になることを、安倍さんは意識しているらしいのです。
日本国の最大の弱味はエネルギーです。ですから日本が今急がなければいけないことは、原子力でも石油でも天然ガスでもない、国内で生産できる新しいエネルギーを開発することなのです。
私は個人的に原発には大反対ですが、もし自分が総理大臣という立場になったとしたら、地質学的に最も安全な場所にある施設を一か所か二か所稼働させておいて、それ以外の施設はそのうち再稼働させる方針であることをほのめかしながら新エネルギーの開発を急ピッチで進めるという政策を選択するだろうと思います。

課題は、日本の官僚たちが、今の内閣の意図を理解して言うことを聞くかどうかということです。
「日本を取り戻す。」の意味について、反米派としても知られている評論家・日下公人氏は次のように解説しています。

「日本人としての本当のアイデンティティを取り戻そう、ということを安倍さんは言いたいんだと思います。
安倍さんが言わんとしているのは、百年、千年を取り戻すということ。もっと言えば、一万年前の日本を取り戻すことだと思いますよ。
神武天皇よりさらにさかのぼり、縄文時代です。縄文人は世界で一番幸せな暮らしをしていた。往事は遅れていたかのように言う人もいるが、まったくの間違い。進歩を礼賛している人のほうにむなしさがある。
考古学や発掘がものすごく進んで、縄文時代の生活や思想がある程度わかるようになってきた。当時の芸術についてもわかってきた。文献が残っているわけではないから想像に想像を重ねるわけですが、神社のお祭りには、縄文時代の風習は受け継がれている。田舎では、代々おばあさんだちからの口伝で、伝承されている。古事記や日本書紀よりも古いことが語り継がれているんです。
そういう根幹の日本を取り戻す、世界で一番幸せな縄文時代の日本を取り戻す、ということも含まれていると思います。
安倍さんを叩いている人たちは、頭がいいのかなんだか知りませんが、自分のほうが安倍さんより偏差値が高いと思っている節がある。そこに、僕は浅はかさを感じる。
じゃあ、あなたたちは、成蹊大学の授業を一時間でものぞいたことがあるのか、と聞いてみたい。東大のキャンパスなら行ったことがあるかもしれないが、成蹊大学のキャンパスに行ったことのある人は少ないはず。成蹊大学に一度行って来いと言いたいね。あの雰囲気を見てきてから議論をしなさいと。」
(WAC刊「安倍晋三が、日本を復活させる」日下公人・渡部昇一共著 より転載)

安倍さんが日本国憲法を改正しようとしている理由も、精神的な意味が大きいと思います。今の日本国憲法では、日本人、とくにエリート官僚たちは戦勝国アメリカに対するコンプレックスから抜け出せない。
余談ですが、安倍さんを潰瘍性大腸炎から救った薬の名前は「アサコール」らしい。成分はヘンプとは関係ありませんが。


実は、私は安倍さんの後輩に当たります。
私が出た高校は、福島県にある質実剛健を校風にしていた男子校(当時)でした。田舎の男臭い進学校を出た私が、吉祥寺というお洒落な街の、ケヤキ並木の美しいキャンパスの中にある、ゆったりと時間が流れるような自由な雰囲気をもった成蹊大の学生になった時、私はカルチャーショックと感動の連続だったという記憶があります。
サークルの先輩に「ちょっと、昼めし食いに行こう」と誘われて、ついて行った先が何と赤坂で、その路上で当時人気のあった漫画家の楳図かずお氏とすれ違った時には興奮したものでした。

そして私は安倍さんと同じ学科で学びました。ゼミの担当教授のご自宅に招かれたことがあったのですが、その書斎は木造の六角形の部屋でした。
当時は米ソ冷戦の時代で、領土問題と言えば北方領土だったのですが、講義の中でその教授が言った次の一言が当時の私にとって目から鱗だったのです。
「昔から頻繁に戦争が繰り返され、しょっちゅう国境線が変わっていたヨーロッパ諸国の人々に、“固有の領土”という概念はあるだろうか?」
その話が、今の私の「地球は誰のものでもない」という主張とダイレクトに繋がっています。
「尖閣、竹島問題について」 http://iyasaka.saloon.jp/article/57638621.html

また私はその大学の合唱団に所属していたのですが、演奏した最も思い出の深い楽曲の名前は「宇宙について」でした。
隠れキリシタンが長崎弁で唱えていたお経や、仏陀の宇宙観で「小が大であり、一つがすべてである」という意味を現した「華厳経」に幻想的なメロディーが付いていました。
もしあの学生生活が無ければ、私は今頃スピリチュアリズムの探求なんかやっていなかったかも知れません。


安倍さんは、公に見せる態度でアメリカの操り人形の振りをしているだけで、本心は別のところにあり機会を伺っている。
オバマ大統領も、影の権力の操り人形の振りをしているだけで、機会を伺っているという噂があります。だとしたら、もう何の問題もありません。
私たちが今、注意しなければいけないことは、メディアに踊らされてはいけないということです。ロシアの国営メディアでは報道されている国際ニュースを、一切報道しないのが日本のメディアです。
原発事故による復興問題にしても、日本のメディアは、積極的に国費を投じてでも対策を急ぐべきだと言ったかと思えば、国費が投入され始めると、東電の責任なのに我々の税金が…と批判口調で言う。
メディアが民衆のネガティブな集合意識を創り、その集合意識が問題の解決を遅らせてしまうこともあるのです。

(やしろたかひろ)

※参照
「劇団真実 -世界から封印された日本」
 http://kurasu.biz/



posted by takahiro at 10:39| Comment(4) | 現代社会を考える