SNSや掲示板、メールなどの媒体を利用して、不特定多数を相手にして真偽不明の情報をもとに、あるいは憶測でメッセージを発信し、大衆の不安を煽る行為が見られます。
そのようなことを書くことによって何か具体的に物事が解決するのならば良いのですが、しかし、ほとんどは、悪意で人々のネガティブな想念を掻き立てて意図的にハルマゲドンを起こそうとした某カルト教団のやり方と何ら変わりがないように思います。
例えば、このようなメッセージを発信している人がいます。
「政府は、原子力安全・保安院の職員らを福島第1原発から およそ5キロのところにあるオフサイトセンターで待機させていたが、15日午前、第1原発からおよそ50キロ離れた郡山市まで退避させたらしい。
一般住民に避難や屋内退避を指示しているのは30キロ圏内なのに、なぜ自分たちは50キロの所まで逃げたのか。おかしいよね。
実は、政府と東電は事故の本当の全貌を公表せず隠蔽していたのだ。本当は、安全避難距離が250キロの事故だったらしい。このひどい隠蔽体質・・・」
現地の地図を広げながら、冷静になってよく考えてください。
福島県の海岸線沿いの地域はほとんど、津波被害のあった被災地です。
そして、原発から内陸の方向へ7キロも入れば今度は阿武隈山系に突き当り、森林だらけの山しかありません。その奥へ行っても、ずっと農村部(田村地区)が続きます。
内陸部へ50キロ入って、ようやく、職員の宿泊場所の確保が容易である都市部(郡山市)にたどりつくのです。
事故対策のために派遣されている原子力安全・保安院の職員らを、一般避難民と一緒にそのへんの公民館や小学校で共同生活させるわけにはいかないでしょう。
かといって、景色の美しい農村部にある民宿や観光旅館で宿泊をさせたら、今度は、こんな時に保養をしてるのかと国民の怒りを買うでしょう。
郡山市は陸上自衛隊の駐屯地もありますし、一般人の避難所もある街です。
また、原子力安全・保安院の職員が退避したのは50キロの地点なのに、なぜ250キロという数字が一緒に出てくるのか? なんだか矛盾していますね。
安全避難距離が250キロならば、30キロも50キロも大差がないのでは?
15日の夜に、現場から約20キロの地点で240〜330マイクロシーベルトという値が一時的に出て、この時に米国が大騒ぎしましたが、それ以降本日現在までの各地の放射線濃度の推移を見る限り、原発の放射線漏れについてはこれ以上深刻な事態になりつつあるようには思えません。
結果良ければすべて良し、という訳では決してありませんが、もしこれまでの過程の中で何らかの隠蔽が実際にあったとしても、それは政府に悪意があったというわけではなく、国家の責任として、国民の安全を最大限に考慮した選択であったに違いありません。
仮に安全避難距離が250キロといった事態が起きたとして、交通が麻痺している中で、首都圏および東北地方の大量の住民の避難誘導方法について具体的な策の無い段階で、即座にありのままの事実を公表したらどうなりますか。
何千万人もの人々がパニックが起こしたら、どれだけの事故や犯罪が発生するか。原発事故の直接の被害とは無関係に、どれだけの死者が出るか。その予想規模は計り知れないものがあります。
以前の関東大震災の時には、「朝鮮人が暴徒化して、井戸に毒を入れ、放火して回っている」というデマが広まったそうです。
ともかくも、このような災害時に性悪説を前提としたものの考え方をすることは、人々の僅かな望みをも奪ってしまう可能性があるのです。
地震大国である日本に生まれてしまった私たちは、ある程度のことは覚悟して、日頃から自分で防衛策を講じておくしかないのです。
原発に近い地域にお住まいの方などで放射線対策を考えるならば、昆布でダシを取った味噌汁を毎日飲むようにすると良いでしょう。
「放射線対策に味噌汁」
http://iyasaka.saloon.jp/article/43851259.htmlやしろたかひろ
※今月の中山弥栄塾の延期に伴い、21日配信のメールマガジンでは中山康直 塾長からのメッセージの掲載があります。
posted by takahiro at 18:12|
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