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2009年06月27日

現代の姥捨て山「老人保健施設」

日本は世界一の長寿国ですが、同時に世界一寝たきり老人の多い国でもあります。
そして、認知症の高齢者の約半数は寝たきりであるという統計があります。

認知症が増えた理由は、日本人の平均寿命が長くなったこともありますが、薬漬け医療にも原因があると思います。
例えば、血圧を下げる薬(降圧剤)の長期使用は、認知症の大きな引き金になります。

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タグ:人権と福祉
posted by takahiro at 23:05| Comment(1) | 現代社会を考える

2009年06月13日

公園デビュー

昨日はある方とのアポイントで上京したのですが、約束の時間まで少し時間があったので、都心の某公園で暇を潰しました。
たまたまその公園内の風景を眺めていて、感じたことがありました。

そこには様々な遊具がありましたが、子供たちが群がっていたのはブランコ、滑り台、グローブジャングル。
今の子供は体力が無いのか、鉄棒と登り棒は人気がなさそうでした。
私が気になったことは、一人掛け用のブランコはとても人気があったのに、二人で遊ぶシーソーにはほとんど子供が寄り付いていないということでした。

公園内を見渡すと、若いお母さんと小さな子供の数がほぼ同数。一時流行した「公園デビュー」という言葉が思い出されました。
子供が自分のお母さんと会話している光景は見られましたが、子供同士で仲良くはしゃいだり遊んだりしている光景がほとんど見られないのです。
住宅地の中にある公園で、近くに住むたくさんの子供たちが来ていて、それぞれに友達はいないのでしょうか。
滑り台に登る順番を争って他の子と喧嘩をして、お母さんに叱られている子供はいました。
子供同士のコミュニケーションがほとんど無いのに対して、お母さん同士はよく会話をしています。

都会の公園とは、子供が一人で遊ぶ所。そしてお母さん同士が社交をする所でした。
子供同士が仲良く遊んでいて、ある時には年長の子供が年少の子供の世話をしている光景がほほえましく見えた木の花ファミリーとのギャップを感じました。


posted by takahiro at 18:00| Comment(2) | 現代社会を考える

2009年05月20日

防毒マスク

今日、近所のスーパーへ行ったら、レジ係が全員マスクをしていました。

私が住んでいるところは関西からはかなり遠いのにと思っていたら、今夜のニュースで「東京で、新型インフルエンザに感染確認!」。
症状が軽くても、もし感染が見つかれば隔離されて仕事をすることも出来なくなるようですから、これは非常にやっかいな事態です。

昔、自分が雇われていた会社の社長に、
「日本は将来どのようになると思いますか」と尋ねたときに
「まともに空気が吸えなくなる。防毒マスクを着用しなければ外を歩けない世の中になるだろう」
という答えが返ってきたのを思い出しました。
私はその時は経済の話題を振ったつもりだったのですが、意外な答えに驚いたものでした。
ある意味で、今の状況はその社長の予想が当たったといえます。

今、ネット通販で最も良く売れている商品は医療用マスクらしいです。




家庭用 焼却炉
posted by takahiro at 00:00| Comment(0) | 現代社会を考える

2009年02月24日

「20世紀少年」に見る ともだち観。

「20世紀少年」という映画が、海外にも波及して話題になっています。
私はまだその映画を見ていませんが、少し前にそのストーリーの前半部分だけがテレビで放映されました。

ストーリーの最初の設定は、日本が高度経済成長期のまっただ中だった1960年代。
登場人物たちの年代が私とほぼ同じでした。あの時代の子供たちの服装や、街の風景が実に良く再現されていました。
「ああそうだ。あの頃、自分もあんな野球帽をかぶってランニングシャツ1枚で、冒険や探検といった言葉がピッタリのちょうどあんな風な遊びをしてたな。」と、懐かしさの余り涙が出るほど感激してしまいました。

やがてその場面は一転して1990年代の後半に移ります。まさに現代の風景。
あの頃にはどこにも無かったコンビニエンスストアが出現。
それは見慣れた風景ではあるのですが、あの頃と今とではこんなにも違うのかと、そのコントラストに驚き、何となく寂しい気持ちになります。

そして、「ともだち」という名前の、顔をマスクで覆った得体の知れない独裁者の登場。
それに立ち向かうのは、昔の幼なじみだった、本当の意味での「ともだち」たち。

私は、ああ、これは時代風刺だ、と思いました。
現代は、本当の「ともだち」という概念が無くなってしまった時代なのではないか?

ぼくたちのあの頃、血縁関係がなくても、となり近所に住む人たちはすべて「ともだち」でした。
子供たちも全員、自宅の近所にどんな人が住んでいるのかを、よく知っていました。
そして、お隣どうしで醤油や味噌の貸し借りをしたり。

ところが今は、ややもすれば隣にどんな顔をした人が住んでいるのかも知らないという時代。
顔と名前をほぼ知っているのは、職場の同僚と趣味のサークル仲間ぐらい。
その中に、本当の「ともだち」と言える人は何人ぐらいいるだろうか?
その職場を辞めてしまったら、そのサークルを辞めてしまったら、そこで縁が切れてしまうような人間関係ばかりなのではないだろうか?
今はどこを見ても、「あいつの性格が嫌いだ」「何となく気が合わない」と言って、他人と仲良く出来ない人間が多すぎる。
現代における「ともだち」という言葉のイメージは、やはり顔がマスクで覆われた得体の知れないもの。



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タグ:日本の風景
posted by takahiro at 00:00| Comment(0) | 現代社会を考える